>>709
まずフィリピン救援はしません、これは確定事項で独力での持久としています。
12月8日開戦時の米重巡の動きを確認すれば比島への輸送から帰還途中の艦がいくつかあります。
ただし政治的にはオープンにできません、あくまで表向き米は比を見捨てないという立場です。
それを逆手に取ったマッカーサーはフィリピンへのB17の増勢を要求し、まんまと成功しますが。

そしてドイツが大西洋で暴れたおかげで1941年には戦艦部隊を派遣する羽目になります。
このとき機関まで改装されわずかながら速力も向上し、航続距離も大きく伸びていたのはニューメキシコ級の3隻。
太平洋艦隊の中では改装していないコロラド級を差し置いて最有力の戦艦と見られていました。
この主力3隻を大西洋に派遣となった時点で、太平洋艦隊はその方針を変更せざるを得なくなりました。
つまり日米開戦の場合、西太平洋においては防勢とするとの決定です。

その防衛拠点がミッドウエイとウエーキで、ここの飛行場整備が開始されます。
アメリカの防衛方針はこの2つの島に基地航空隊を増強して配備し、
空母艦載機と基地航空部隊の支援の下に決戦をするというものです。
そして日本艦隊おびき出しの為に考えられたのが、空母部隊による機動空襲です。
要はアメリカ版漸減作戦なんですな。
開戦時にレキシントンがミッドウエイ、エンタープライズがウエーキへの航空機輸送をしていたのもこの戦略があったからですし、
ミッドウエイの飛行場が整備されているのもこの為です。