荒れると予想されたので900辺りに投下したら次のスレまで延焼していた。この時間なら。

神社神道の中の人たちは国学とかあさるとまた大教院事件だとか「国家神道」で
伝統社家が追放された事件とか色々見たくないものを見てしまうので、
アイデンティティを継体朝からの継承と天智・天武持統朝に置いてるんだよ。
この時期の祭政改革と仏教導入は隋と唐を中心とした中華冊封システムからの脱却の一部で
聖徳太子(摂政厩戸王)の国書「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」とか小野妹子の派遣理由が
「朝貢」ではなく「仏教書・僧や書物の招請」(隋は仏教を国教としていた)だったり、
この辺りは「皇帝問倭皇 使人長吏大禮 蘇因高等至具懷 朕欽承寶命 臨養區宇 思弘コ化 覃被含靈 愛育之情
無隔遐邇 知皇介居海表 撫寧民庶 境內安樂 風俗融合 深氣至誠 遠脩朝貢 丹款之美 朕有嘉焉 稍暄 比如常也
故遣鴻臚寺掌客裴世清等 旨宣往意 并送物如別」という返書で「倭皇」と表記され、外に向けては仏教、国内向けには
神道を作り上げたのが天武・持統夫妻だからね。この時期は男子優先女帝ありだったけど、それでも
皇統はものすごく混乱した、なので「男系男子」主義者がいまだもって多い。個人的には「女帝あり女系不可」の立場だけどね。