国家安全保障政策/国家戦略研究スレッドPart2

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1JTAC
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2019/05/28(火) 20:17:15.39ID:6xOEVx5m
我国の繁栄と安全を守る国家安全保障政策とこれを実現する国家戦略を研究・提案するスレッドです。

○国家安全保障政策とは
国家の独立と繁栄を維持するために、主に軍事的な脅威などから国家を守る政策。国家は多様な価値観を包含しており政策は必ずしも他の政策・党派と整合するものではない。

○国家戦略とは
国家目的を遂行する最高位の観点から、平戦両時に政治・軍事・経済等の国力を効果的に運用する統一的・総合的・全般的な戦略。安全保障政策を上位構造とするが、政策上の不整合は国家戦略により統合が図られる。階層構造下位の戦域戦略、作戦、戦術の準拠となる。

○戦略の位相
国家戦略を構成する全ての位相(軍事・経済・文化・社会・科学技術etc.)を議論の対象としますが軍事を主たる切り口とし、それ以外の議論は50レスを越える場合は専門スレッドへの移動をお願いします。

「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」

○戦略の階層構造
戦略を構成する全ての階層構造(世界観・政策・国家戦略・戦域戦略・作戦・戦術・技術)を議論の対象としますが、作戦次元以下の議論は50レスを越える場合は専門スレッドへの移動をお願いします。

「本質はdetailにこそ宿る。それは栄光無きものに非ず。」

○戦略と戦史
戦略とは一般的な法則が成り立つような分野ではなく、戦史において淘汰される複雑系・非線形・進化的なプロセスです。議論の根拠たり得る戦史上の事象(古代・中世・近世・近代・現代)を議論の対象とします。

○当スレッドのスタンスと地誌について
当スレッドは明らかにネット右翼(ネトウヨ)スレッドです。対象脅威を尊称で奉る趣味はございません。戦史・兵要地史の一貫性のため歴史的な略称(支那・北朝鮮・南朝鮮・米・英・仏・露・独他)を推称します。

○戦略思想家の格付け
●神様リスト
クラウゼヴィッツ、モルトケ、コーベット、リデル・ハート、マイケル・ハワード、J.C.ワイリー、エドワード・ルトワック、コリン・グレイ
●疫病神リスト
ジョミニ、フォッシュ、フラー、マハン、ドゥーエ、ハマン・カーン、バーナード・ブロディ、クレフェルト、ミアシャイマー

「勝利は既に(戦略次元で)確定している。卿らの上に大神オーディンの(作戦次元以下の)恩寵あらんことを。」

過去スレ:
国家安全保障政策/国家戦略研究スレッド
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/army/1535374656/l50
875JTAC
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2019/12/26(木) 23:06:52.06ID:FtB0Y2Z0
>>874
誤爆?
貴官は友軍に誤爆している!
ただちに座標を再確認せよ!
876JTAC
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2019/12/26(木) 23:19:04.60ID:FtB0Y2Z0
第一次対仏同盟、1801年までのナポレオン諸戦役の観察によって、プロイセン陸軍の若い将校グループは、
彼らが戦争において何か新しいものに直面していることを確信した。
すなわちフランス革命において明白だった民族的エネルギーの解放は、
一時的現象ではなく根本的変化であるということである。

その変化は欧州の政治的・軍事的関係を変え、彼ら自身の国家も
軍事的ばかりでなく政治的な改革で対応しなければならない。
1806年のイエナの破局はその考えの正しさを立証した。

これらの人々とは、ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト、
ヘルマン・フォン・ボイエン、アウグスト・フォン・グナイゼンウ、
そして、カール・フォン・クラウゼヴィッツのことである。

彼らのリーダーのシャルンホルストは、軍再編委員会の長に任命された。
877874
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2019/12/27(金) 01:02:13.47ID:OpMeB/ie
>>875
済みません、御指摘の通り誤爆でした
御迷惑をお掛けしましたこと、お詫び致します
878JTAC
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2019/12/27(金) 12:19:51.99ID:XbAdsjGH
師団組織と軽歩兵採用のようなフランスの隊形や技術を機械的に真似ることでは明らかに不十分であった。
プロイセン陸軍が、軍人以外の国民から軽蔑され鞭でしか秩序づけられない
長期服務の徴兵であるかぎり軍事改革は不可能であった。
陸軍は、自らを国家の守護者と見、社会からもそう見られる真面目で有能で信頼できる愛国者から成り立たねばならない。

しかし、その前提はグナイゼナウがあっさり言ったように
「国民が有効に祖国を守るべきであるとすりならば、
国民にまず祖国を与える」ことである。
祖国とは、ホーエンツォルレン家の単なる世襲財産ではなく、より広く崇高な概念たる「ドイツ」であるべきだ。
879JTAC
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2019/12/27(金) 12:27:50.52ID:XbAdsjGH
これは危険な思想であった。
ホーエンツォルレン家、ハプスブルク家、それに追随する貴族達は、
まさにこの種の思想を抑圧するためにフランスと戦っている。

シャルンホルストと協力者達は、宮廷からも軍内部からも激しい反対に直面した。
ある者は絶望して断念し、クラウゼヴィッツのようにロシア軍で勤務する者もいた。

しかし、1813年。ロシアでナポレオン軍が崩壊してから状況は変わった。
ドイツ中で階級を問わず愛国的情熱が爆発し以前の障壁の多くはうち壊された。
880JTAC
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2019/12/27(金) 12:40:31.96ID:XbAdsjGH
徴兵が導入され、国民服務部隊である後備軍(Landwehr)が作られた。
それは独自の将校を決め、そこでの服務は軍に召集されなかった全ての兵役適齢者に対して強制的であった。

陸軍と後備軍の双方で、初めこそ動きが鈍かったが執拗で勇敢なのべ約60万の兵を戦場に送り込んだ。
彼らは、1813年のライプツィッヒにおけるナポレオンの撃破に、1814年にナポレオンに退位を強要したフランス戦役に、
1815年のナポレオンの最終的な打倒に、遺憾の無い働きを示した。

ナポレオンの侵攻はドイツに武装国民を呼び覚ましていた。
しかし、ドイツ民族は、単一の国家という媒体を通じて現れることができなかったので、
大きな問題は将来に残ったままであった。
881JTAC
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2019/12/28(土) 00:28:33.60ID:NhZVle4G
イギリスは、十八世紀を通じて島国の地位と海軍力によって陸軍はぎりぎりまで縮小されていた。
イギリスの支配階級は、イギリス王国を守るのは、第一に海軍、
次いで田舎のジェントリーが支配下においた在郷軍(Militia)すなわち「合憲的軍隊」に期待した。
(どこかで・・・どこかで聞いた話ですね。)

革命戦争によって必要となった軍隊の拡大(四万→十五万)は疑い深い議会に一歩一歩吟味された。
ジェントリーは将校職購買制度と地方連隊制度の維持によって陸軍への有効な支配を維持した。
イギリス陸軍は社会の階級構造を反映する十八世紀的軍隊であった。

サー・ジョン・ムーア等革新的軍人はフランス軍の制度の柔軟性と独立性を導入しようとした。
が、支配的人物ウェリントン公アーサー・ウェルズリーは変化が必要だとは考えなかった。
882JTAC
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2019/12/28(土) 00:35:55.78ID:NhZVle4G
イギリスが十八世紀的軍隊で持ちこたえたのは、天下無敵のイギリス海軍の優越性によるものだった。
だが、その優越性は十八世紀を通してフランス海軍の挑戦を受けた。

七年戦争におけるイギリス海軍の勝利は、北アメリカ、インドでの植民地競走相手としてのフランスを除去したが
フランス海軍の改善努力により二十年後のアメリカ独立戦争において一連の敗北を喫しアメリカ植民地の反乱制圧を放棄せざるを得なくなった。
883JTAC
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2019/12/28(土) 00:51:22.97ID:NhZVle4G
フランス革命はフランス海軍の指揮体系、補給体系を破壊した。
その間、イギリス海軍は海軍軍政本部のサー・チャールズ・ミドルトンの元、フランスに敗れた欠陥を反省した。

提督サー・チャールズ・ダグラスのフランスのグリボーヴァルシステムに匹敵する砲術の改良により
海上戦においても敵艦船に肉薄して射撃を浴びせ撃滅することが可能になった。

新しい信号体系により戦闘線の硬直性は無限に変化する戦術隊形方策を駆使する能力に転じ、
ロドニー、ジャービス、そしてネルソンは、敵を当惑させる戦術的技量により、
スペイン、オランダ、フランスというイギリスの伝統的な敵対的艦隊を全て次々に撃破し
二十世紀まで続く世界の海に対する支配を確立した。
884JTAC
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2019/12/28(土) 01:04:03.95ID:NhZVle4G
1805年のトラファルガー海戦の後、英仏は互いに相互封鎖を企てたが、
それは(二十世紀のような)「相手国の飢餓」を狙ったものではなく、
「商人の戦争」、交易の破壊により敵国の財政を壊滅させる重商主義的な戦略であると考えられた。

ナポレオンは、フランス実業界の支持を得て、イギリスに対するコルベール流の重商主義的戦争を再現しようと決意。
ベルリン勅令により支配下の全ての土地からイギリスの商品の締め出しを図った。
885JTAC
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2019/12/28(土) 01:50:24.82ID:NhZVle4G
イギリスの反応は、フランスの交易を破壊するためではなく、それを統制することを目指す封鎖を課すことであった。
(「輸出管理」である。どこかで・・どこかで聞いたようなw)

「フランスは勅令でイギリスとの全交易を止めると決意した。
イギリスはイギリス以外にフランスとの交易はさせないと答えたのである。」
中立船は、イギリスが決めた条件でのみフランスとの交易が許された。
アメリカとの摩擦は直に起り、1812年、アメリカと戦争になった。

欧州大陸は、イギリスが全面的に独占していた木綿、染料、砂糖、コーヒーのような植民地の産物を切望していた。
従ってイギリスの封鎖は、密輸により緩和はされたが、耐え難い欠乏を欧州大陸に課した。
その結果、欧州の人々はフランス革命がもたらした政治的利益よりも、
経済的圧迫とフランス支配の腐敗について意識するところとなった。

ナポレオンは自ら課した封鎖を機能させるために、スペイン、ポルトガル、イタリアを大陸体制に取り込んだが、
この体制は逆に地中海にまでイギリスへの支持を産み出した。
ロシアがイギリスとの通商を再開したとき、ナポレオンには武力で服従させる以外の方法が無かった。
886JTAC
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2019/12/28(土) 02:01:29.28ID:NhZVle4G
イギリス経済もうまくいってるわけではなかった。
供給過剰危機が起り、倉庫に売れない商品溢れ、労働者は解雇され反乱と機械の打ち壊し運動が頻発した。

イギリス陸軍は、いかなる外戦よりも忙殺される任務に出動させられた。
同じイギリス人の鎮圧である。

ナポレオンのイベリア半島への侵略で、フランスのスペイン、ポルトガルの市場が開かれたことで、
イギリス経済はかろうじて生き延びた。
アメリカ合州国はイギリス製品をボイコットし、南アメリカへの輸出が倍以上に膨れあがった。
この交易パターンは第二次世界大戦まで続く。
887JTAC
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2019/12/28(土) 02:08:03.85ID:NhZVle4G
革命とナポレオン時代の軍事的出来事の背景で、二つの相対する経済体制の闘争が起こっていた。
後者の闘争は前者に劣らず決定的で、戦争の将来に一層重大であった。
戦争は全体的になりはじめたのである。

軍隊の対立ではなく、国民の対立になりつつあった。
「革命の戦争」は終わり「民族(国民)の戦争」へとパラダイムが変わりつつあった。
888JTAC
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2019/12/28(土) 02:17:02.41ID:NhZVle4G
次章の「民族の戦争」について、手元のハワード本の訳者・奥村大作氏もタイトルに苦慮している。
ニュアンス的には「国民(nations)」に近い。
訳者はマッツィーニを論拠に「国民」よりも「民族」を是とした。
(自分には何のことやら。
が、ドイツやイタリアのような、まだ国家として未統一で
しかも次のパラダイムで主導的な例もあり、
感覚的に民族(国家)くらいで良いのかな、とも)
889JTAC
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2019/12/30(月) 02:19:47.57ID:vy1z0QMY
「民族(国民・国家)の戦争」

欧州の支配階級は25年ぶりに権力の座に戻ってきた。不安のうちに。
彼らの関心は、政治的・社会的均衡の回復である。
ナポレオン戦争が、欧州の国際体制の打倒にとっていかなる価値をもっても
その体制を維持しようと考える政治家には無価値である。

各国の陸軍は社会から隔絶された貴族将校と長期服務軍という十八世紀の形態に戻ろうとした。
イギリス、ロシア、オーストリアは問題なく戻った。
プロイセンの場合、シャルンホルストの後備軍制度は全面的には廃止にならなかったが
改革者達(グナイゼナウ、クラウゼヴィッツ等)は左遷若しくは退役に追いやられた。
フランスの場合は、実態として徴兵を貧民階級に限定して七年の長期服務として骨抜きにした。
これらの軍は対外戦争よりも国内の反乱鎮圧に忙殺された。

この時代、最も尊敬された戦略家は、古い型の戦争と新しい型の戦争の継続性を強調した人々であった。
ナポレオンとフリードリヒ大王の「専門性」を結び付け、
将来も有効であると確信をもって期待された基本的原則を示した。
スイスのアントワーヌ・ド・ジョミニなどである。
彼らの著述では、ナポレオン戦争では十八世紀の戦争と同じように
自軍を防衛しながら敵の翼側、LOCを脅かすとか、決勝点での力の優越を確保するとか
単なる機動の問題になってしまった。
890JTAC
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2019/12/30(月) 02:30:00.68ID:vy1z0QMY
しかし、クラウゼヴィッツは、類似点よりも相違点を分析し説明することに関心を持った。
戦争は、軍事的専門技術の問題と、少なくとも同程度は精神的、政治的諸要因の問題であり、
フランス革命によって引き起こされた諸要因こより戦争の性格は明らかに変わった。

全面的勝利を求めて国家の勝利を求める「絶対戦争」の概念も、欧州が「革命の戦争」を
体験していなかったら抽象的な規範、プラトン的理念にすぎないと一笑にふされたであろう。

敵にとっても味方にとっても危険な民族的熱情の爆発こそ王政復古期の政治家が見たくない
と望んだものであり、事実彼らは三十年間それを阻止した。
が、その間の欧州の平和と技術的発展は、戦争が起きた場合ナポレオン戦争を凌駕するほど
凄まじい規模になることを確実にした。
891JTAC
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2019/12/31(火) 20:14:39.39ID:DkSgfsL1
19世紀中半の蒸気機関の発達により陸海の輸送は変化を見た。
それまでは、如何に頑強な専門的軍隊でさえも数週間の行軍間に甚大な死者を出した。

鉄道の価値を証明した最初の戦争は、北イタリアでのフランスとオーストリアの戦争で
十二万のフランス軍は、従来では二ヶ月かかる距離を十一日で戦場に到着した。
しかし、兵と馬は迅速に移動されたが弾薬、医療品、飼葉、架橋、攻城資材が無くオーストリア軍がそれ以下だったので「戦えた」だけであった。

プロイセン参謀本部は、最大の仮想敵の両国の会戦を深い関心で研究し鉄道部を創設した。
1866年の普奥戦争では失策を犯し降車後の兵站が滞ったが
1870年の普仏戦争では未曾有の能率で機能した。
892JTAC
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2019/12/31(火) 20:28:31.70ID:DkSgfsL1
運動速度は、実は鉄道による利益の一つにすぎなかった。

第一に重要だったのは、鉄道が戦場の軍隊に与える持久力であった。
軍隊はもはや前進倉庫に頼らず国家の経済全体を調整して不断の補給ができるようになった。

第二に軍隊は肉体的に良好な状態で戦場についた。
市民生活から徴集された予備兵であっても良い状態で戦場につくのは重大であった。

第三は良い状態に維持できること。傷病者は基地の病院に移し健康な兵と交代できた。
戦争が長引けば休暇で往来できた。

市民にとって戦場は遠い出来事ではなく、開発の進んだ電信で一層密接になった。
新聞が確立されて野心的になるに従い編集室と特派員の間でも即座の通信をもたらした。
イギリスの民衆は、クリミア半島の会戦を、イベリア半島のウェリントン会戦よりはるかに批判的に見守った。
893JTAC
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2019/12/31(火) 20:36:22.02ID:DkSgfsL1
益々、読み書きができるようになった欧州人は、都市化され政治的自覚を持つようになり
通信革命により軍隊の活動に親密さを持つようになった。

政府は軍隊を一般民衆から引きはなそうとしたが、軍隊と母体の社会は、軍隊を支える諸資源の社会全体への軍事的要請により
今まで以上に緊密にならざるを得なかった。
894JTAC
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2019/12/31(火) 20:52:45.24ID:DkSgfsL1
十八世紀は、戦場に展開できる軍隊の大きさは補給の制約により制限があると見られていた。
十八世紀の指揮官が八万以上の軍隊を動かすことは希だった。
この限界は組織的な(あるいは勝手な)掠奪で補うフランス軍により越えられたが、
1812年のモスクワ遠征ではこの無情な即興にも限界があることを露呈した。

しかしこの限界は鉄道の導入により無くなった。
プロイセン参謀本部のように鉄道で軍隊を動かす管理上の複雑さがいったん習熟されると
軍隊の大きさは、兵役適齢期の人口、徴兵に対する政治的経済的制約、訓練し装備し動員するための管理能力、だけであった。
1870年。プロイセンと北ドイツ連邦は、ナポレオンのロシア遠征の2倍、百二十万をフランスに展開した。
1914までにドイツの数字はさらに倍の三百四十万に達したが、隣国の間でも同様の増加があった。
895JTAC
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2020/01/01(水) 01:35:51.00ID:mn657YEG
プロイセンの軍事的有効性の基礎は義務兵役制度にあり、一度は衰退したがヴィルヘルム一世の即位により新しい力を得た。
王は軍事力の再建を第一の目的と決め議会との正面衝突に突入した。

陸軍大臣アルブレヒト・フォン・ローンは、兵役要件を現役三年予備役四年と再び定めた。
予備役後、訓練された兵は後備軍(独立の地位を失い正規軍統制下)に移った。
組織は管区単位の軍団に管理され軍団司令官は徴兵と予備兵と後備兵の召集、
訓練と装備、動員の速度と能率について責任を負った。

動員にあたっては、正規軍は十分に訓練された予備兵で補充され、動員用装備で装備され、
参謀本部が予め作成した計画に基づき主戦場がどの前線でも計画的に鉄道網で派遣された。
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2020/01/01(水) 01:55:16.51ID:mn657YEG
参謀本部は、十九世紀の偉大な軍事的核心であった。
プロイセン参謀本部はシャルンホルストが創設したが、1857年に参謀総長に就任したモルトケが全面再編した。

大軍を補給し展開する問題は、かなり以前から作戦参謀の任務拡大と参謀将校の全軍への配置を必要とした。
軍の規模の拡大とともに、平時の準備と戦時の指揮統制も問題が非常に増加した。
モルトケは参謀将校を有望な連隊将校から選抜し、自らの監視下に訓練し、これをエリートに変えた。
ドイツ帝国陸軍において参謀将校は新しい種類の社会的能率基準を作った。

フランス第二帝国では、小規模の植民地戦争の限定された教訓や、ナポレオン戦争のロマンチックな英雄主義が盛んであったが、
1870年の普仏戦争で戦争を科学的計算と管理計画と専門技術に基礎をおく体制によっtlて押し潰された。

プロイセンの諸制度、徴兵制、戦略的鉄道網、動員技術、さらに参謀本部は欧州大陸のあらゆる国で真似られた。

これを「管理革命」という。

三十年後、キューバと南アフリカで痛い目にあったイギリス、アメリカもこのモデルを自らの必要性に適合させるに至った。
897JTAC
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2020/01/02(木) 20:52:39.65ID:gn7HDTUy
管理革命とならんで「技術革命」が進行した。
1815年から1914年の間、兵器の技術革命は戦術を変えた。

1870年までの変化で、小銃は施条(rifle)され射程と精度を5倍向上させた。
1840年代に施条されたマスケット銃が発達し、前装ライフルの欠点・装填速度も旧型と同程度になった。
同時にフリントロック式は、より信頼性高い撃発雷管式に変わった。
フランス、イギリス、ロシア、オーストリアは1850年代にこれらでクリミア、イタリアで戦った。

プロイセンは、これらの戦役に不参加だったため、彼らの後装式施条のドライセ銃は未評価であった。
不細工な兵器で前装銃ほど射程もなく銃尾からガスが放出されるため不快でもある。
が、それは前装銃に発射速度で3倍優勢であり、しかも伏射できる圧倒的利点があった。
戦史上、初めて歩兵は自ら標的になることなく数百ヤード先の敵を殺傷できるようになった。

1866年にプロイセン軍があまりにも効果的に利点を活用したため、全ての欧州各国陸軍は自分達の改良型後装銃を入手した。
898JTAC
垢版 |
2020/01/02(木) 21:02:42.25ID:gn7HDTUy
砲兵でも同じ発達があり、プロイセン陸軍は、フリードリヒ・クルップの新型後装式鋼鉄砲により1870年の戦場を支配した。
緒戦においてドイツ軍はフランス軍の優れたシャスポ式ライフルに阻止されたが、
その射程外からクルップ砲で連打し屈服させた。

かくて、1870年代までに攻撃軍が敵と近接戦闘するのは困難になった。
フランス陣地を攻撃するプロイセン歩兵、プロイセン陣地を攻撃するフランス騎兵は共に恐るべき損害を被った。
プロイセンの勝利は、一部は砲兵により、一部は数の優越によって可能になった包囲作戦によるものである。
1970年以降、この困難さはさらに増大する。
899JTAC
垢版 |
2020/01/02(木) 21:10:22.13ID:gn7HDTUy
1880年代にリダイト、コルダイト、メリナイト等の高性能火薬が発達し、
瞬間的燃焼により位置を暴露する煙を出さず、発射速度を損なう滓も残さず、歩兵のライフルは千ヤードまで射程を伸ばした。
さらには、19世紀末には水冷式機関銃が出現した。

これらの兵器で守られた陣地をいったいどのように攻撃すべきか?
900JTAC
垢版 |
2020/01/02(木) 21:21:23.50ID:gn7HDTUy
戦術の著述家達は、十九世紀の終わりに、攻撃側は防御側よりも一層強大な火力によってのみ成功すると述べた。
同時に起こった野砲の発達でこれは可能になるように思われた。

野砲は、射程が伸びたため、五マイル離れた敵から隠れた陣地から射撃し戦闘に参加できた。
さらに無反動砲架は、発射後の射撃位置への回復を不要にし、迅速性、正確性を向上させた。

1918年までには、地歩を取るのは砲兵で、それを保持するのが歩兵になった。
そして地歩の重要性は、砲兵の観測の便宜性で決まった。
901JTAC
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2020/01/02(木) 21:33:31.78ID:gn7HDTUy
最後に、最も誉れ高く、最も古い兵科の騎兵はどうなったか?

急襲と偵察機能は問題なかった。
だが戦闘で決定的衝撃を与えるという歴史的な存在意義に対しては自殺行為であろうと示唆された。
騎兵科は抵抗し1914年になっても欧州の全陸軍はランスとサーベルで武装した常備編制を保持していた。

連続した戦線が作られない東欧州では騎兵は二十世紀でも有効であった。
しかし西欧州では、重騎兵は高価な時代錯誤ということが開戦後、数週間で明白になった。
偵察の役割でさえ、自動車二輪と装甲車にとって代わられた。
902JTAC
垢版 |
2020/01/02(木) 21:51:03.69ID:gn7HDTUy
独特の観察者であったポーランドの銀行家、イワン・ブロッホは、
兵器の性能の注意深い分析に基いた著書「将来戦」を著したが、その中で攻撃が成功するのは今や統計的に不可能であるので
戦争は政策の実行可能な手段では無くなった、と結論した。

軍事指導者達は、もちろん同じ結論は出さなかったが、準備された陣地に対する攻撃は甚大な損害を覚悟すべきである、ということは否定しなかった。
他方、1870年ドイツ軍が行った包囲機動は巨大な兵力を必要とする。

いずれも最大の人的資源をもつ軍隊が優位に立つため、1871年から1914年の間、
各国の参謀本部は、この問題の解決策として競ってより大きな軍隊を要求した。
903JTAC
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2020/01/03(金) 11:19:22.03ID:8uhnK/aZ
最も緊急に実行したのはドイツ参謀本部であった。
ビスマルクのロシアとの同盟政策が放棄され、ロシア帝国内の鉄道網が発達し
欧州での展開兵力が巨大化し、問題は年毎に大きくなっていった。
フランス-ロシアの二正面戦争は避けられそうもない。
問題はどちらの戦線に最初に兵力を集結するか。

セダン型の決定的勝利は西欧州の限定的な区域においてのみ可能と考えられた。
フランスを叩くべし。
だが、フランス国境は強力に要塞化されている。
904JTAC
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2020/01/03(金) 11:28:33.57ID:8uhnK/aZ
ドイツ参謀総長アルフレート・フォン・シュリーフェンの解決策はよく知られている。
ベルギーを通る広大な包囲機動、これに連動する「明日なき戦闘」(Schlacht ohne Morgen)でフランス軍を殲滅する。
そうなれば、緩慢なロシア軍に対処するため東方に主力を輸送できる。

シュリーフェンは1905年に退官したが、後継者達はこれを実行するため
さらにドイツ軍の規模を増大させる新軍法を通過させた。
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2020/01/03(金) 21:18:43.43ID:8uhnK/aZ
フランス参謀本部は、防御側の力についてドイツ参謀本部ほど懸念を持たなかった。

まず、第一に彼らは1870年の敗北の原因を、ナポレン方式に従い、先手を取り
敵前で勇敢に機動する代わりに陣地で防御しようとした消極性のせいにした。
(諸君にはエラン・ビタールが足りない!)

第二に戦争では精神的なものと物質的なものの比率は3:1だというナポレオンの格言を
肝に銘じており、フランスの軍事指導者、中でもフェルジナンド・フォッシュ将軍は、
攻撃側が火力の決定的優勢を取れる限り、最強の防御でさえ英雄的指揮による
大量攻撃により攻略できる、と信じ続けた。
(諸君にはエラン・ビタールが足りない!)

かくて、彼らは1914年に攻撃によってドイツ軍の動きを粉砕しようと計画した。
攻撃では酷い損害が予期されたが、意志の強い指揮官は決してひつみはしないはずだった。
906JTAC
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2020/01/03(金) 21:30:30.96ID:8uhnK/aZ
1914年以前から、欧州各国は、小型の専門的軍隊ではなく、軍医的有効性は
国民の「人力」と戦略的に適切な「鉄道網」との組み合わせに掛かっていると認めていた。
この二点で優位に立つ国家は、他のことが同等であれば一夜で欧州の地図を
塗りかえるということであった。

人力の利用と福祉が、かつてないほど国家の関心事になった。
出生率は軍事力の指標となり、フランス軍はライバル・ドイツに対する出生率の低下を
深い懸念をもって見守った。
イギリスは、1850年代に対ロシア戦で招集した在郷軍兵士が驚くべき高率で
軍務に不適で不合格だった苦い経験を有していた。

近代陸軍は複雑な組織で、階級の低い兵士にも読み書き算数が要求された。
皮肉屋は将校よりも下士官の読み書きが必要だと主張しかねなかった。
戦場が非常に大きいため、上級将校は全般的な言葉で意図を述べるだけで
後は下級将校に任せるしかなかった。
優秀な将校を多数もつ必要があった。
907JTAC
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2020/01/03(金) 21:42:01.44ID:8uhnK/aZ
将校は、貴族階級からだけでは供給不可能であった。
技術面の理解と、一級の管理能力、これと従来の貴族的な勇気、率先、独立心、
指導性を兼ね備えた正規将校が多数必要であった。

この変化は、フランスでは、革命以降すでに中流階級を将校に取り込んでおり問題なく
受け入れられた。ハプスブルク帝国では貴族制は常に折衷的で柔軟であった。
ロシアでは、大量のユンカーからの士官学校卒業生で埋められた。

ところが、ドイツははるかに柔軟性を欠いていた。
ドイツの将校団と帝室は親密な忠誠関係にあり、プロイセン将校団は、外敵に対する
守護者であると同時に社会秩序の守護者としても自らを考えた。
参謀本部の陸軍拡張は認めるが、自由主義的な中流階級の成り上がりに将校連中が
圧倒され、また社会主義思想にかぶれた青年によって列兵が満たされることを警戒した。
908JTAC
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2020/01/03(金) 21:48:16.79ID:8uhnK/aZ
それは杞憂であった。

1820-1830年代の中流の急進主義者は、確かに革命的で1850年代にも反抗したが、
ビスマルクは帝室に対するドイツナショナリズムの普及を通じて毒針を抜き、
1871年には彼らは誰にも負けず、大声で「皇帝万歳」を叫んだ。

プロイセン軍事体制と一体化したドイツ・ブルジョワジーは将校予備役の地位を
せしめて喜び、工業プロレタリアートの間に社会主義が成長するのを
上流階級同様に怯えた。
909JTAC
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2020/01/04(土) 08:53:41.70ID:Z7H1ooRf
ドイツの軍事当局の懸念は、ルールやラインラントで急増する都市人口によって
軍事的人員増を徴集せざるを得なかったことである。
ブランデンブルクやプロイセンの純朴な農民と違い、封建的君主への忠誠心への
伝統を持たない彼らは信頼できるのだろうか?
ドイツの上流階級が心配する革命に対し、社会を防衛するように要求された場合
彼らは信頼できるのだろうか?

プロイセンの将校団が心配したところは、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの
望むところである。二人とも軍事問題に関する熱心な研究者であり鋭い批評家であった。
特にエンゲルスの著作は、彼を十九世紀の第一級の軍事批評家の一人にしている。
それらの著作は、軍事的な専門的問題の把握と、軍事的発展と社会的変化の
根源関係について深い理解を示している。

これらの革命主義者達は、エリートによって鼓舞された反乱が既存の社会秩序を
転覆し得ると信じていた。
軍事力は常に人間世界における変化の具であったし、これからもそうだろう。
また、そのような変化は一定の客観的法則に従ってはじめて生起し得るものだ。

革命的状況は、進展するのに時間が掛かった。しかし軍隊において大衆自身が
火器と戦術の訓練を受け、旧秩序の抑圧の具であった専門的軍人に
とってかわるということは、来るべき革命にとってこの上ない福音であった。
910JTAC
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2020/01/04(土) 09:24:47.51ID:Z7H1ooRf
マルクスとエンゲルスが希望し、プロイセン将校団が恐れた事態は、少なくとも
1917年のロシア革命までは起きなかった。その時、ロシアの社会構造は
耐え難い緊張に覆われていた。それに対し、ドイツ陸軍は転覆されはしなかった。
かえって、ドイツでもその他の国でも、一般兵役制度は軍国主義化の有効な手段で
あることが明らかになった。

「軍国主義」は「ファシズム」同様、あまりに一般的で無学な使われ方をされる言葉に
なり注意が必要である。ここでは、「軍国主義」は軍事的下位文化(サブカルチャー)の
価値を社会の支配的価値として認めることを意味する。
(階級秩序、服従、勇気、自己犠牲)
十九世紀末までに欧州は著しく軍国化された。
戦争は、封建的支配階級や専門家小集団の問題とはもはや考えられず、国民全体の
問題と考えられた。

軍国主義的ナショナリズムは、純然たるブルジョア的現象ではなかった。
マルクスが労働者は国家を持たないと書いたとき、
実は初期産業革命の労働者について語ったのである。
彼らは田舎の安定した社会から引き離され、都市に惨めな状態で群がった。
都市は未だ一体感を発展させておらず、彼らを搾取する社会からまさに疎外されていた。

しかし、五十年後、百年後、国家教育、合法的な労働組合、安価な扇情的な新聞が
この状況を一変させた。
労働者階級は、社会主義の刺激と同等以上にナショナリズムの刺激に反応していった。
国境を超える階級統合の訴えは、1914年にひとたび進軍ラッパがなるや雲散霧消した。

国家は、国家を生み出した唯一無二の価値体系の具現化と見なされるようになり、
国家を守り、国家に奉仕する責務はいよいよ大きくなった。
いかに国家の目的が平和的で理想が高尚でも、その最高の運命は戦争であるという
結論をさけることが困難になった。
そして思想家たちはその結論を避けないものが多くなった。
911JTAC
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2020/01/04(土) 09:35:40.14ID:Z7H1ooRf
このことは、1914年の驚くべき現象を説明するのに役に立つ。

世界大戦の勃発と同時に、興奮した群衆が欧州のあらゆる大都市の大通りを埋めた。
イギリスの志願兵は、騒ぎが終わる前にフランスに行こうと召集所に群がった。
フランスの士官学校生は、古めかしい正装で戦闘に進軍した。
大学生だったドイツの予備兵がランゲマークで腕を組んで歌いながら進み、
イギリスの機関銃手に射殺された。当時の文学に現れた忘我の意識などもそうである。

兵士の大群はありあまる善良さをもって前進した。
シュリーフェンの不可能な目標を達成するため長い進軍をした。
ジョッフルの攻勢作戦を達成するため不平も言わずに生命を投げ出した。

1914年を通じて欧州の大衆軍を支えた情熱は、二年後にやっと退潮した。
そのときでさえ、イギリスとドイツでは情熱は頑固で不屈な忍耐となって定着した。
912JTAC
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2020/01/04(土) 09:41:53.61ID:Z7H1ooRf
この情熱を、ただ支配的エリートの宣伝と操縦のせいにするのは
粗雑で機械論的で歪曲された説明である。

イギリス、フランスでは戦争初期に権力を握っていた伝統的な政治家は
ロイド・ジョージやクレマンソーのような民衆的な人物によって駆逐された。
ドイツのヒンデンブルク、ルーデンドルフの軍事独裁は、祖国戦線という強力な
組織に指示された。この組織の大部分は下層中流階級の指示により成り立っていた。
913JTAC
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2020/01/04(土) 15:12:52.52ID:Z7H1ooRf
このことは国家が社会の全資源を何年も続く長期戦争に動員できることを意味した。

戦前の思想家達は、大衆戦争は短期的で決戦的にならざるを得ないと考えていた。
兵役適齢期の人々が全て軍服を着れば、誰が畑を耕し、工場勤務につくのであろうか?
財政機構は崩壊してしまわないか?貿易はどうなる?
戦争はクリスマスまでには終わらせなければならなかった。

しかし、実際には終わらなかった。
西部戦線は手詰まりになり、東部戦線の目覚ましい運動戦も決定的成果を生まなかった。
ロシア人はスラブの歴史的な目標であるコンスタンチノープルを要求した。
ドイツ人は永久に安全を保障する領土獲得を要求した。
イギリス人はプロイセン軍国主義が根絶されるまで剣を納めないと誓った。
かくして戦争は続くほかなかった。

ドイツ人のいわゆる殲滅戦略はもはや有効ではなく、この当時の戦略は十八世紀的な
消耗戦略があてはまった。ただし、十八世紀のように戦闘を回避するのではなく
戦闘を挑発し、資源を使い切るように強いるのである。
これがドイツ軍のヴェルダンへの攻勢や西部戦線のイギリス軍の攻勢の背景に
あった考え方である。
「大きい財布を持つ方が勝つ。」
914JTAC
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2020/01/04(土) 15:36:01.83ID:Z7H1ooRf
陸軍は、もはや国家の擁護者ではなく、交戦国が互いに資源と人間を搾り取る道具であった。
もう一つの伝統的な武器である海軍による封鎖は、さらい冷酷なものになった。
イギリスとドイツは、互いにすべての資源は戦争目的に向けられている、
という仮定に基づいて行動した。その結果、互いに攻囲状態を押し付けあうことになった。
平和の到来は、戦場での勝利の結果よりも経済的・心理的な消耗の結果であった。

この戦争が市民に課した負担は、不平もなく受け入れられた。
巨大な戦時国債が集められ、婦人は男にかわり工場と畑で働いた。
ぜいたく品は没収され、必需品は厳しい割り当てになり、消費物資は店頭から消えた。

このような経過の中で、政府は社会経済生活においてさらに支配権を獲得した。
政治に対する一層広い参加を求める圧力が増大し、労働組合も政府のパートナーとして
受け入れねばならず、戦争税は富の不均衡を水平化した。

もし、本当に社会の軍国主義化が古いエリートの周到な計略であったならば、
彼らは非常に悪い取引をした。
というのは、彼らを滅ぼしたのは他ならぬ愛国的な民衆であったからである。
それまで五百年間も生きながらえてきた支配的な王家、有力な貴族による欧州の
王朝的諸国は、1914年から1918年のわずか四年間の内に消滅し忘却された。

しかし、これらの王家に仕えた専門的軍隊は一掃されなかった。
一部の諸国では、それらが政治的権力を握った。
その他の国では、専門技術は次の体制の用に供された。
それらの軍隊は、平和がくると、将来の戦争ではいかに一層巧みに、一層消耗せずに、
一層決定的に戦えるだろうか、という問題に注意を向けた。

「民族(国家)の戦争」から「技術者の戦争」にパラダイムが変わった。
915JTAC
垢版 |
2020/01/04(土) 15:55:44.44ID:Z7H1ooRf
岩屋前防衛相、中国側の寄付否定…100万円は「謝礼」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200104-00050082-yom-soci

「この100万円について、岩屋氏は会見で、「17年8月に北海道で開かれた
同僚議員の政治資金パーティーに講師として出席した際の謝礼だった」と説明」

防衛大臣のときも「おかしい、おかしい」と思っていましたが。
「謝礼」なら良いわけですか?
時期が「現職防衛大臣」のときなら、さらに笑えませんね。
これぞサイレントインベージョン、「調略」ですね。
「支那の間諜」説にソースがついてしまいました。
カウンターインテリジェンスの法整備と実行機関。何とかしないと限界です。
指揮系統にまで入り込んでくる。

安倍内閣が進める「今春の習近平の国賓訪日」
これは、大丈夫なのですか?
まさか、支那の調略に左右されていないですよね?
戦略的に見て、国益に何一つ寄与しないように思えますが?
916JTAC
垢版 |
2020/01/04(土) 16:30:50.41ID:xT6NVbz6
某A省は、一隊員でも支那の関係者が接触してきた場合、報告するように義務付けられていると聞いています。
「服務」として。

組織は例外規定を振り回す上から腐ると言いますが。
本当に「政治」レベルの意識が甘いですね。
2020/01/04(土) 23:26:32.48ID:Z7H1ooRf
命題「習近平の国賓訪問の戦略的是非如何?」

〇外交戦略的観点
支那本体との関係は確かに改善するが、やっと支那との対決に舵を切りつつ
あるアメリカ、オーストラリアとの関係は?また香港民主化への影響は?
(それが支那の狙いでもある。)

〇軍事戦略的観点
尖閣諸島への海上民兵の侵入件数は高止まり、なんら外務省の交渉は軍事的成果を
あげていない。スクランブル件数も高止まり。支那軍の軍拡はかえって急ピッチに進展。
年明け早々、五隻の大型駆逐艦を就役させました。ほとんど戦時です。

〇経済的観点
一帯一路で経団連は飴を舐めたいと。
だがね。それ以前にかつて支那本体に投下した巨大な日本の投資はどうなりましたか?
退職間際の経団連上層部への退職金は加算されるかもしれませんが、国際的な
貿易の不公正、知財の問題は拡大し長期的にはマイナス。
何回同じミスすりゃ気が済むのかと。馬鹿かと。安倍は。

〇情報戦略的観点
「ファイブアイ」への加入。見送られますよ?
支那に前国防大臣が金握らされてるもんね。
英米豪から見て日本と機密が共有できるかと。
無理ですわな。

さて。本当の本当にどういう戦略的メリットがあるんだ?
日本に?
918JTAC
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2020/01/04(土) 23:37:29.08ID:Z7H1ooRf
全体として、支那は天安門事件前後同様にアメリカに外交・経済・軍事的に追い込まれています。
かつて、その突破口を提供したのは日本の売国奴達です。
あのときも国賓訪問でしたね。

さすがに学習しましょうよ。
容赦なく追い込んでとどめをさせ。支那共産党崩壊・支那国家分裂に追い込むのです。
それが、香港問題、台湾問題、朝鮮問題、チベット問題、ウィグル問題、
尖閣・南西問題、(実は)満州問題、(実は)上海問題(長いw)への答えです。
919JTAC
垢版 |
2020/01/07(火) 23:41:50.97ID:oL5KXRdd
「技術者の戦争」

欧州は1300万の死者を出したWW1の二十年後に再び戦争に巻き込まれた。
この戦争の破壊は欧州の優越を決定的に終わらせた。
どうしてこのようなことが起こったのか?
その答えは、まずWW1を注意深く考察する必要がある。

WW1において、戦争の破壊性に加えて、国家がマンパワーに対する要求をいかに増大させたかは述べた。
しかし、この反面、同時代の輸送と医療が戦争の恐怖を緩和したことも注目すべきである。

それまでは、軍隊の病死者は戦死者の五倍であったが、その比率は逆転した。
負傷から回復する割合も急速に増大した。
輸送の改良によって、二、三週間以上極度に苦難にあうことはまずなくなり、休息と回復の手配も可能になった。

例外もあるが、市民兵は一般市民や敵を扱う人道的な基準を持ち込んだ。
国際赤十字は1859年の仏墺戦争後に創設された。
1864年、1906年にジュネーブで1898年、1907年にハーグで使用兵器の致命性を緩和する国際会議が開催された。

大衆戦争の開始も暴虐への逆戻りにはならなかった。
920JTAC
垢版 |
2020/01/07(火) 23:53:02.11ID:oL5KXRdd
前線地域でさえ、昔なら羨ましい状態で生活した。
規則正しく適切に給養が与えられ、補助的軍事サービスにより市民生活をしているときよりもよい世話を受けた。

救いようがない恐怖の大戦のイメージは、多くの従軍者が持ち得なかったイメージで、
戦後の世界は兵士の多くにとって単調で失望させるもので、一部にとってはまさに欠乏であった。

戦後の連隊会で、戦友愛、冒険、挑戦、勝利、経済的保証、家庭からの逃避等、
戦争が本当に彼らの最も幸福な時代であった、と信じることができた。
失われた世界へのノスタルジアは、1920年代にいろいろなファシズムを産み出す重要な要素になった。
921JTAC
垢版 |
2020/01/08(水) 00:05:38.26ID:g6hYD2re
大戦の経験は、多くの国で軍国主義の反作用を産み出したが、これは一様ではなく、
民族的忠誠と伝統的価値による外見的に安定した世界から、
混乱と敗北と革命の世界へ出てしまい裏切られたと感じた者。
スケープゴートを求めた者。
新しい人民組織の中に軍事的階序列制の活気と安全を再生しようとした者。
あるいは暴力の行使の中に国内、国際政治の双方の権力への道を見た者。

イタリア原型から「ファシズム」という名前を得た急進右翼の運動にとって、
戦争は国策遂行の手段であり、人類の正当な活動であった。
軍国主義の反作用どころか戦争をさらに強烈に肯定した。
922JTAC
垢版 |
2020/01/08(水) 00:19:36.64ID:g6hYD2re
WW1までのナショナリズムは、自由・平等・博愛といったフランス革命の理想の名において市民の忠誠を要求したが、
ファシズムは露骨に反対の自己主張をした。

自由ではなく指導と従順、平等ではなく支配と服従、友愛ではなく人種的優越。
これによりファシズムは次のような人々を取り込んだ。

彼らは世俗的にせよ教会的にせよ権威からなる古い体制に心理的欲求の満足を見出だしていたが、
その体制が破壊されるまでそれに気付いていなかったのである。
革命と敗北により脆弱になっていたドイツでは、新しい体制がこれらの欲求の操作により権力についた。

その衝撃は革命期のフランスと同じく破壊的で、欧州の勢力均衡に挑戦し、国際社会のイデオロギー的合意を否定した。
2020/01/08(水) 03:46:34.03ID:ukJUWpWL
もし今、アメリカがイランと本格的に軍事衝突すると
アメリカは戦争の三位一体が三つとも揃わない状態での戦争遂行を強いられるのでは?
924JTAC
垢版 |
2020/01/08(水) 19:33:38.70ID:aXj/bxky
>>923
難しいところです。
ことは短期、中期、長期でみるべきかと。

短期では、トランプは支持層のリバタリアンが対外戦争が嫌いなので、示威や抑止以以上の軍事行動に踏み切る動機が少ない。
ソレイマ二を抹殺したのも抑止の意味合いが強いと。
イラク駐留軍も軍内でイラク撤退に関する怪文書が飛び交い戦える状況ではない。
トランプの発言もあまりにも行き当たりばったりな上、文化財の攻撃にまで言及し、士気は地に落ちているでしょう。

ただし、長期でみるとイラン革命以来、両国関係は国民レベルでも不倶戴天です。
カーターがイラン大使館事件で失脚した過去もあります。
あまりにもイランに弱腰だとトランプも致命傷になります。
今回の出火自体は小火ですが、床にはガソリンが充満してるのも事実です。

予測は困難ですがOODAループを回す着眼としては、床のガソリンに火がつくか?
それとも政治的打算により消えるか?
ということでしょう。

アメリカはこれから8日の朝を迎えトランプがイラン問題で声明を発するようです。
軍に即時臨戦態勢を取らせなかったことから、抑制的な対応の公算大。

どうなるか見てみよう。
925JTAC
垢版 |
2020/01/08(水) 19:51:20.38ID:aXj/bxky
中期が一番やっかいで、状況は実はイランに極めて有利。

シリア内戦は親イランのアサド(スンニ派ですがヒズボラ支援の関係)が勝ち、
イラクのIS掃討でも腰抜けオバマがアメリカ陸軍を派遣せず、対IS戦はイランの革命防衛隊からの義勇兵が遂行した。
イラク国内でもアメリカは負け犬でイランの影響力が日に日に増大しています。
「シーア派の三日月」は完成してしまいました。

となると、イランからほとんど陸続きでヒズボラ、ハマスに繋り、同盟国イスラエルは存亡の危機です。
実は、難くせつけてでも開戦してイランの政治中枢を叩きたいのはアメリカ(特にイスラエルロビー)です。
このままでは敗北するので。

マティスがシリア撤退に反対して辞任した意味が分かります。
シーア派回廊ができてしまうと、やはりここまで深刻な事態になった。
無教養なチンピラを大統領に据えた報いですな。
926JTAC
垢版 |
2020/01/08(水) 19:57:09.73ID:aXj/bxky
日本にできることは、ペルシャ湾への派遣部隊を統合任務部隊に格上げして増強することです。
特にホルムズ海峡に陸上部隊を派遣してSSM/SAMのカバーリングゾーンを展開して日本向けのタンカーを物理的に守ることです。

調査・研究?
ふざけんな。
927JTAC
垢版 |
2020/01/08(水) 20:13:44.93ID:aXj/bxky
イラン側の事情としては高位聖職者も含めた「上級市民」の世俗化が酷くイスラムの求心力低下があげられます。
秘密のリゾートをあちこちびこさえて日々、酒と女の後乱行。
アメリカの経済制裁で苦しむ下層を尻目に。

その不満をそらして政権求心力を維持する手段が積極的な対外戦争です。
928JTAC
垢版 |
2020/01/09(木) 07:22:40.75ID:XfjaXvH5
トランプ氏、イランへの反撃明言せず 軍事力行使「望まない」

https://article.auone.jp/detail/1/4/8/111_8_r_20200109_1578506673266930

「[ワシントン 8日 ロイター] - トランプ米大統領は8日、
米軍による革命防衛隊のソレイマニ司令官殺害に対するイランの報復攻撃で米国人の死傷者は出なかったと明らかにした。
また必ずしも軍事力を行使する必要はないと述べ、危機打開に向けた姿勢をにじませた。」

今回は手打ちのようですね。
相手の幹部を殺って、相手が事務所にハジキを形だけ撃ち込んで(米兵の死者0)「手打」と。
どう見ても、ヤクザの抗争レベル。

どういう政治的エンドステート(end)をどうやって(way,means)目指すか、といった大戦略レベルの思考はまるで感じられない。
アメリカもここまで戦略的思考で落ちぶれたかと。
929JTAC
垢版 |
2020/01/09(木) 07:31:42.20ID:XfjaXvH5
アメリカの立場で「イランが強くなり過ぎた」が「アメリカがペルシャ湾に投入できる力には限界がある」とくれば
答えは「対イラン封じ込め同盟政策」しかない、という結論になります。
ところが、その青写真がまるで見えない。

逆に「シーア派の三日月」にトルコとロシアが接近し武器まで送ろうとしています。
アメリカの軍事的優位を打ち消すA2/ADスクリーンです。
930JTAC
垢版 |
2020/01/10(金) 21:13:07.77ID:lpbSTCnj
アメリカには、せっかくルトワック(戦略のパラドックスを乗り越える大戦略上の方策は・・・「同盟」だ!)がいるのに。
2000年以降は無視・軽視され続けてきた・・・・ということでしょう。
それは彼らの勝手ですが、やはり「神」に逆らえば天罰てきめんで日に日に中東、太平洋地域での影響力を失いつつあります。

日本人は・・・今から読みましょう。
そして戦史を真剣に学ぶのだ。
まだ遅くはない。
祖国が生き残るためです。
931JTAC
垢版 |
2020/01/10(金) 21:27:03.47ID:lpbSTCnj
クラウゼヴィッツは、「戦争は政治の継続」と言いますが、では「政治」とは何なのか?
「戦争論」では「自国に有利な講和条約」(そして極限点を越える前に戦争を終える)という捉え方ですが、
これを国際関係から巨視的に俯瞰すればまさに「同盟」のことです。

クラウゼヴィッツ派なので、当然、クラウゼヴィッツと同じことを言いますが、
現代の我々から見ても理解しやすいディストりビューションです。
小まめにインストールしてカーネル、ライブラリーをバージョンアップしましょう。
932JTAC
垢版 |
2020/01/10(金) 22:22:12.94ID:msAwsve1
「技術者の戦争」(続)

ファシズムと同様の国際体制の否定は、既にロシアで起きていた。
レーニンによって修正されたカール・マルクスの教義に基づくソビエト連邦によるボルシェヴィズムである。

欧州の支配階級を悩ませたのは、ソ連の侵略よりも国内のボルシェヴィズムの恐怖であった。
それがあまりに強く左翼からの脅威に対する同盟者としてファシズムを歓迎し、その脅威を見抜けなかった。
933JTAC
垢版 |
2020/01/10(金) 22:32:26.99ID:msAwsve1
WW1後の欧州には三つの対立するイデオロギーがあった。
表面的には啓蒙主義から出た自由民主主義と国際法を重視する思想の勝利と見られていた。
が、実際には、欧州の伝統的枠組みを破壊することで左右の革命勢力を強化した。

左翼は国内・国際的な紛争がなければボルシェヴィズムの千年王国は来ない、
右翼は国際紛争の継続の中に人類の必然的な運命を見た。

西側戦勝国は、彼らのイデオロギーを強制する力があったがアメリカが欠けておりできなかった。
ヴェルサイユ条約の十五年後、欧州は再び戦争準備を開始した。
934JTAC
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2020/01/10(金) 22:54:24.19ID:msAwsve1
ファシズムが栄光化した戦争は、戦線のはるか後方にいる将軍に命令され、
ついていない多数の徴兵が戦う類いの戦争ではなかった。
それは、飛行士、戦車乗員、突撃隊員の若い英雄達の小さなチームで行われる戦争であった。
彼らは、勇気と暴力でフロックコートの耄碌老人から人類の運命をもぎ取り、
一層純粋で一層栄光にみちた将来を作ろうとした。

彼らは必ずしも間違っていなかった。
十九世紀には大衆の戦争参加を可能かつ必要にした技術が、
二十世紀には高度な資格をもつ技術者の手中に権力をもたらした。

WW2は、大衆参加と技術専門家同士のひどく隠微な戦いの混合を見ることになった。
二十世紀の後半までには欧州諸国民は紛争から全面的に除外されることになった。
もし戦争が起きれば、考えられない規模で破壊力をふるう少数の軍事技術者によって戦われる。

一体何故?
そのためには、十九世紀の戦争におけるある発展を考察しなければならない。
935JTAC
垢版 |
2020/01/12(日) 00:22:11.55ID:LjUvtPI8
十九世紀の技術は効果的で操作しやすい兵器の大量生産を可能にした。

歩兵は、薬莢が火薬と弾丸を操作する必要性を省き、後装がラムロッドを不要にした。
弾倉と遊底が発射速度を増し、照尺が正確性を与えた。
あらゆる徴兵は数週間以内にフリードリヒ大王の近衛隊を凌ぐ名手になった。

砲兵も、後装と無反動砲架が発射ごと砲口を清掃し置き直す作業を取り除いた。
1コFARは、1914年には数百平方ヤードに対してナポレオン戦争の全期間以上の
破壊力を一時間で発射できた。

欧州の従来の社会では技術的な優越性は一時的であり数量が問題であったが
火力の射程と破壊力はそれだけで勝利を得るに十分な段階がやってきた。

技術的発展によってひどく不安定になった一つの領域(ドメイン!)があった。
技術的発展が、戦闘のみならず戦争に勝ち、政治的支配を樹立するに足るほどの
優位をもたらすかに見えた領域があった。
海戦である。
936JTAC
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2020/01/12(日) 00:40:15.02ID:LjUvtPI8
思想と艦船と兵器と戦術を、ネルソンからフォン・ティルピッツへ、ヴィクトリー号から
ドレッドノートへ、わずか一世代の間に調整しなければならなかった十九世紀の海軍士官に
同情せずにはいられない。

発達しつつあった海洋工学、治金、製砲技術を最も有効に適用した国家は、一発も浴びずに
敵の艦隊を粉砕することが可能かに見えた。
造船に鉄を使うことが木材の制限から自由にした。ネルソンの艦はせいぜい二千トンの
排水量だったが、1860年には九千トンになり、世紀末には二万トンになった。
装甲は厚くなり、搭載砲の口径は増大した。
舷側での射撃は限界で旋回砲塔に収められ180°回転でき射程は二万ヤードに達した。

1904年の日本海海戦では、日本軍が全ロシア海軍を全滅させ、技術の遅れを放置した
国の運命を実証した。本当の戦争は、今や海上よりも造船所にあった。

十九世紀後半は、イギリス軍とフランス軍、ロシア軍の間ですさまじいい競争があったが
そこにドイツが欧州最高の全工業力を背景に加わり、ドレッドノート型、超ドレッドノート型
を競争して建造を始めた。
937JTAC
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2020/01/12(日) 01:05:29.86ID:LjUvtPI8
イギリスは百年にわたる工業上のリードを喪失しつつあることを知っていたし
彼らが制海権を失えばそれほど脆弱になるかも理解していた。
1914年に戦争に突入したとき、イギリスと連合国は、海軍競争では一歩先んじていた。
ティルピッツのドイツ大海艦隊は相手を縛り付けておくこと以上はできなかった。

しかし、ドイツの技術力はもう一つ別の方向を開いた。
潜水艦である。

1914年になっても制海権は大きな主力艦隊の決戦で決まると考えられた。
このような勝利は、外洋から敵の小型艦船や通商破壊艦を追い払うことを可能にし
それによって交易と輸入に依存する敵国に破滅的な封鎖を課すことができろ、と考えられた。
これが、アメリカ海軍家で理論家のアルフレッド・セイヤー・マハンが提唱した原則で
「海軍権力史」は19世紀末には欧州海軍のバイブルとなった。

交易の破壊が究極の目的だが、十七世紀、十八世紀にフランス海軍がやったような
交易を直接攻撃するために海軍力を使用するのは誤りだとマハンは説いた。
海軍力の使命は「制海権」を獲得することで、それが海洋を自国の交易の航路として
同時に敵の障害として使うことを可能にする。
この「制海権」は最強の主力艦隊だけが手に入れられるものである、と。

ティルピッツの艦隊は弱すぎてイギリスに挑めず、イギリスはドイツに厳しい封鎖を課すことができた。
これは植民地に加えてアメリカのような強力な中立国との交易も遮断した。
その限りでは、マハンの説は大戦中の事実で立証された。
その過程は、英米関係を戦争直前まで緊張させた。

しかしドイツは潜水艦を当初想定していた沿岸防衛用の単距離兵器から数週間の
巡航能力をもつ外洋艦に発達させ恐ろしく効率的な報復を可能にした。
938JTAC
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2020/01/12(日) 01:15:57.31ID:LjUvtPI8
しかし、潜水艦は帆船時代の捕獲法の原則に基づく作戦ができなかった。
潜水艦にとって浮上することは最小の武装商船に対してさえ危険である。
まず撃沈し、その後で質問したいという誘惑は圧倒的であった。
1915年のルシタニア号事件で明らかになったのは、
無制限潜水艦戦がアメリカをドイツの敵側に押しやるということであった。

だが、1916年の末までに封鎖によってイギリスを倒す見込みは有望で、陸上での
決勝の見込みが厳しかったのでドイツ最高統帥部はこの危険を犯すべきだと決断した。
四か月後。アメリカは参戦した。
戦争を決したのは、アメリカの物的資源というよりも、アメリカの資源が連合の
自由な使用に供せられるという見込みの精神的な支援であった。
939JTAC
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2020/01/12(日) 01:28:04.02ID:LjUvtPI8
1915年までにもしドイツの潜水艦戦を屈服できていなかったならば、
アメリカが救うべき連合国は既に存在しなかったであろう。
対潜水艦戦の勝利は、爆雷や探索装置の発達だけではなく、
イギリス海軍の軍事思想の革命を必要とした。

攻撃よりも防御が潜水艦撃滅の有効な手段であること。
防御のためばかりでなく囮のためにも商船は護衛されるべきであること。
駆逐艦のような軽い艦は、大艦隊を守るより護衛船団の護衛に有効であること。
これらを容認することであった。
それには、通信技術や敵の通信の傍受技術の完成も含まれた。
無線の発明に基づく通信技術により戦争は四次元化しはじめた。

海戦においては、国民大衆の参加は的外れで、
第一に航空機を含む艦艇等に配置された専門的戦闘員からなる小グループの勇気と忍耐、
第二に兵器と通信体系を開発する科学者、技術者、暗号学者のさらに小さいグループの才能
第三に海戦を計画し実行する指揮官と参謀の技量と判断、をめぐる争であった。
940JTAC
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2020/01/12(日) 01:36:01.57ID:LjUvtPI8
エレクトロニクスは操艦術と同様に重要で、勝利は究極のところ、自分の運動等の
秘密を保持しながら敵の運動を探知し、その通信連絡を読むことができる側のものとなった。

第二次大戦までに、これを可能にするレーダーと無線傍受技術が発達した。
潜水艦の乗員と潜水艦狩りをする水上艦艇のや航空機の乗員とは、戦争の
結果全体をも決定しえる恐ろしいかくれんぼの具であった。

複雑な兵器体系を操作する高度に訓練された戦闘員、互いに競う技術者、
非常に離れたところから指揮するな指揮官からなる小グループ間の闘争という
全く同じパターンは空の戦争でも発展に伴い現れた。
941JTAC
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2020/01/13(月) 00:17:37.10ID:mQTOR4SP
航空機は、WW1に陸上の偵察任務から始まり、航続距離、速度、武装の向上に伴い
砲兵に代替えするものとして戦場の後方すべての運動を不可能にする規模で行動した。
海戦の場合も同様だが、当然ながら海軍の指揮官は認めたがらなかった。
航空母艦が、海軍支配の第一の手段として戦艦にとってかわったと結論を出すには
1941年以降の太平洋の戦闘経験が必要であった。

海戦や陸戦における空軍力の可能性の理解は、航空部隊の指揮官自身がその問題を
嫌がったことでさらに遅れた。
空軍力に対する熱狂者達は、航空部隊が海陸での戦闘を変えるというよりも、
それを不要にすることを示そうと試みた。
(残念ながら日本でも・・・)

二十世紀の戦争は、国民の意志と士気の戦争で、戦争を究極的に終わらせたのは
軍事的勝利よりも「銃後」、指導者の下における市民の団結の崩壊であった。
戦争の重心が、軍隊よりも市民であるならば、直接その重心を攻撃する方が有効ではなかろうか。
年単位より週単位の苦痛の方がはるかに軽いのではなかろうか?
いなかる防御もなくこのような打撃を受ける恐怖が戦争の抑止になるのではないか?

これこそ、イタリアのジュリオ・ドゥーエ大佐の議論であり、イギリス空軍元帥・サー・トレンチャードの
議論もこの議論により独立した戦略空軍創設を正当化した。
942JTAC
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2020/01/13(月) 00:35:10.84ID:mQTOR4SP
その戦略は、空襲に対して防御がありえないこと。
スタンリー・ポールドウィンの言によれば、爆撃機はいつでも目的地に到達できることは
当然であると考えられた。

事実は、この仮定が、嘘だといわないまでも、非常な誇張であることを示した。
1930年代の後半に、防御側は敵の攻撃をいち早く警報するレーダーの発達により
日中敵地に侵入する爆撃機に大きな犠牲を課した。
攻撃側が夜間爆撃に訴えれば正確なブラインドフライトを可能にする方向表示電波、
地上地形の走査、により夜間戦機を発信させ、攻撃側の方向表示信号電波を
混乱させる運用を学んだ。

海戦同様、航空戦も戦術・技術の恐ろしく複雑な運用になった。
専門的戦闘員は、任務達成のため、自らの技量に加え、科学者の専門技術に依存した。
WW2最後の数年になって、連合国はドイツの制空権を確保した。
敵本土に対して空軍の預言者たちの預言程度の破壊を課すことができた。

それでもドイツの一般市民の士気は損なわれず、ドイツ国民は戦争の終わりまで
冷静に各々の任務を継続し政府に服従した。
943JTAC
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2020/01/13(月) 12:34:19.82ID:mQTOR4SP
地上の戦闘に対する技術的変化の衝撃は一層広範囲にわたった。
1914年の内に内燃機関は戦闘車両の駆動に使えることが明確になった。
二年の内に最初の「戦車」が戦闘に参加した。
が、最初の戦術的奇襲が終わると対抗策の発見は困難ではなかった。

1918年西部戦線のドイツの攻勢は戦争で最も華々しかったが、それは戦車ではなく歩兵の成果であった。
ドイツ軍は小銃手の列ではなく、迫撃砲と軽機関銃と手榴弾で武装した「突撃隊」という小グループで展開した。
それらは、強い地点は迂回し弱点からはどこからでも侵入し、
フランス革命初期の分遣隊以来の独立性と柔軟性をもって戦った。

しかし、装甲車両とこれら突撃隊員の価値は通信範囲と砲兵の掩護範囲に限定された。
前者は脆弱な野外電話に、後者は荒廃した戦場を移動しなければならない野戦砲に依存していた。
944JTAC
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2020/01/13(月) 12:57:40.31ID:mQTOR4SP
両大戦期の陸軍が装甲戦闘の予言者達のコンセプトの採用をためらったのは、通信や火力支援の実際的な問題のためであった。
予言者達とは、イギリスのJ.F.C.フラー、B.H.リデル・ハート、フランスのシャルル・ドゴール、
ドイツのハインツ・グデーリアン、ソ連のトハチェフスキーらである。

全ての師団が戦車からなる絵は興奮させられる。
戦車は敵の防御を突破し、後方の指揮中枢を圧倒するため「拡大する本流」となり突破口から殺到する。
しかし、後方連絡線の維持は?補給は?火力支援は?逆に包囲され遮断されないのか?
敵が反撃に戦車を使ったら同様に突破口を閉塞してしまわないのか?

技術的発展は問題にいくつかの解決策を与えた。
例えば無線通信の発達である。
だがドイツ陸軍の統帥部でさえ懐疑的であった。
「装甲(機甲)師団」のコンセプトはイギリスのリデル・ハートにも無視された。
ハートは地雷原と対戦車砲と同じ機甲部隊の反撃による対抗策を考慮中であった。
945JTAC
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2020/01/13(月) 13:19:40.36ID:mQTOR4SP
1940年と1941年のドイツの電撃戦の勝利は、相手の士気喪失に因った。
相手はそれ以前のゆっくりした戦闘のペースに馴れ、圧倒的な速度と集中と奇襲に基づいた戦術に対し自己調整できなかった。

しかし、そのような戦術は準備のない相手にのみ迅速で決定的であった。

懐疑論者は結局正しかった。
戦車は攻撃にも使えたが、反撃にも使用できた。
地雷原と対戦車砲で機甲師団が行動できない環境を作ることもできた。
作戦の成功は戦場上空の航空優勢に依存した。
機甲部隊は迅速に行動できる訓練良好な歩兵と協同しないと役立たずで、砲兵も遅れないように続行させる必要性があった。
燃料、弾薬の補給のため何千もの支援車両を必要とした。

「小さくて迅速で有能な部隊」というWW1-WW2の戦間期の夢は、大きな「後方を持つ巨大な陸軍」という現実に変わった。
これは、敵の航空攻撃に脆弱で、行動を継続させるためにはかなりの兵站的工夫を必要とした。
946JTAC
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2020/01/13(月) 19:34:49.87ID:au8STqeB
こうしてWW2の陸軍は、WW1と同様に徴兵の巨大なマンパワーに依存した。
ただし、規模と言うよりも複雑性のためである。戦闘単位はひどく多様化した。
単純な歩兵大隊の装備は、小銃・手榴弾に加え二種類の迫撃砲、
二種類の機関銃、軽装軌車、対戦車砲、携帯対戦車火器、数種類の地雷を含んでいた。
機甲部隊の装備はこの数倍、水陸両用部隊と空挺部隊はさらに複雑であった。
マンパワーの大きな部分が戦闘部隊への補給等のサービスに吸収された。
全ての部分が技術的有効性に依存していた。
最良の兵士でも通信や輸送が途絶すれば絶望的だと感じるし最良の将軍は無線傍受で敵の意図を推測できる将軍であった。
947JTAC
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2020/01/13(月) 20:46:13.28ID:au8STqeB
軍隊に召集される男女の大くは平時と同じ活動、自動車整備、無線通信手、ウェイトレス、料理人に使用された。
召集されなかったものは一般市民としての活動、鉱夫、農作業、旋盤工、公務員が戦争に貢献できると考えられ残された。
市民の熱狂による大衆軍隊の時代は過ぎ去ったが、WW2はさらに深い意味で社会全体の闘争であった。

あらゆる個人が意思の疎通も妥協もあり得ない外国軍隊によって身体的生存も価値体系も脅かされていると感じた。
そのことは東部戦争で顕著だった。
第三帝国の指導者の目標は千年前の先祖の目標、新しい領土の植民と先住民の絶滅あるいは奴隷化であった。

事態を決定的にしたのは、将軍の技量や技術的奇跡よりも、ソ連国民の心身両面の巨大な資源をとことんまで動員するソ連政府の能力であった。
ナポレオンと同じようにドイツ軍は攻勢のモーメンタムに頼っていたので、
失敗すると資源の不足からソ連やアメリカの規模の敵に長期間の闘争を維持することはできなかった。
948JTAC
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2020/01/13(月) 21:22:46.04ID:au8STqeB
しかし、技術はナポレオンの時代とは異なる要素でもある。
もし、ドイツ人がジェット機の開発に今少し集中していたら、ミサイル技術に資源を振り向けていたら
ロンドンを荒廃させノルマンディー上陸作戦は失敗したかもしれない。
そして核研究がもう少し違った方向をとり政治的支持を得ていたら、
ソ連国民の英雄的努力もキッチナー軍へのマハティー族の突撃のような結末を辿ったであろう。

実際には最初の二発の原爆は1945.8にアメリカのよって日本に落とされた。
原爆は欧州が付け足しくらいに考えていた欧州外の紛争に、欧州外の一国により欧州外の一国に使用された。
これはコロンブス、ヴァスコダガマ以来の欧州の世界支配の終焉を意味した。
同時に大衆戦争の終わりを、工業諸国の総動員された国民が互いに全エネルギーを賭けて圧倒しようとする闘争の時代の終わりを意味した。

数年の内に有史以来の人類が使った全破壊力を上回る水爆が、地球上のどの地点にも分単位で到達する大陸間弾道ミサイルで投射できるようになった。
このような時代に専門的軍人の伝統的技量や、愛国的国民の忠誠を示す参加が、何か出る幕があるのであろうか?

一千年の間、欧州で理解され実行されてきた「戦争」はもう終わったのであろうか?
949JTAC
垢版 |
2020/01/13(月) 21:35:02.89ID:au8STqeB
「ヨーロッパ時代の終焉」

自己充足的な欧州は1945年以降存在しなくなった。
モスクワ北方におけるソ連軍の反撃によって、その巨大な力が明るみに出され、
また日本の真珠湾攻撃によりアメリカが完全参戦するに至り、
これら両国は欧州に起源を持ちつつも、欧州全てを合わせた以上の大規模な資源を自由にする能力を有し、
新たな政治体制・経済体制を作り出すことになった。

この体制はカロリング帝国の東部国境沿いに欧州を分割した。
この状況が継続する限り、欧州のいかなる紛争も後ろ楯を巻き込むし、その逆も言えた。
欧州における戦争は地球規模の衝突内部の局地紛争に過ぎなくなった。
950JTAC
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2020/01/13(月) 22:19:38.63ID:au8STqeB
二十世紀の最後の十年間にソ連の崩壊により二つの「超大国」への従属は終った。

ドイツは再統一され東欧はNATOに加わり復活した場合のロシアの脅威へのアメリカの保護を分かち合おうとした。
ただし、これは世界の舞台での軍事的行為者としての欧州の復活をもたらしはしなかった。
(フランスの姑息な試みは失敗した。)
二十六カ国の加盟国の拡大は意思決定の複雑さを生み出し、逆に弱体化した。
今日では、NATOはアメリカの無様な補助部隊として生き残っているが、それは軍事的な意味よりも政治的な意味である。

この軍事的な衰退の根底には欧州の文化における深刻な変化があった。
彼らはもはや戦争は人類の避けがたい運命どころか、重大な政策の具とも見なさなくなった。ああ
WW1の恐ろしい経験の後では、復讐心に燃えたドイツという例外のため1939年に嫌々ながら武器をとったが、
そのドイツもWW2の惨劇により隣国よりも一層平和を求めるようになった。
一方、ソ連はアメリカの核戦力に支援された復活したドイツへの恐怖のため動員を続けることになった。
同じようにソ連の侵略の恐怖により西欧諸国も、アメリカの保護の保障のためとはいえ、再軍備せざるを得なかった。

ただし、西欧の軍隊はアメリカの核反撃を保障する「仕掛け線」の役割まで後退し、
ソ連の侵略を数日持ちこたえる以上の期待はされなかった。
951JTAC
垢版 |
2020/01/13(月) 22:29:40.45ID:au8STqeB
それでも核による虐殺の可能性は市民の激しい反対運動を巻き起こした。
その運動が核抑止という考え方に批判的なのは理解できるが、他に信頼できる代替案が無かった。

とにかくも抑止は機能し欧州は四十年もの間、平和状態を維持し、その間、非常に豊かになった。
一世代が軍事的事項について、積極的に敵対的では無いにしても無関心のまま成長した。

徴兵制は軍事的理由よりも、社会的・政治的理由で存続した。
(大多数の欧州諸国には専門的軍隊を信用しない歴史的理由がある。)
が、その負担を軽減するためあらゆる措置がとられ、市民を軍事化するよりも、軍隊を市民化した。
952JTAC
垢版 |
2020/01/13(月) 22:48:14.80ID:au8STqeB
後に「対テロ戦争」と呼ばれる局面は、イラン革命から始まった。
ホメイニは、アメリカの影響からイスラムを浄化しようと全世界のイスラム教徒に呼び掛けた。
イランのライバルで世俗的指導者サダム・フセインのイラクが隣国イランに攻めこんだとき、アメリカは黙認した。

フセインは隣国クウェートにも領有権を主張し攻めこんだが、時期が悪かった。
ソ連崩壊のプロセス始まっており国連(つまりは連合軍)の実効性が例外的に回復していたのである。

アメリカは朝鮮戦争以来初めて集団安全保障の原則を実践できる多国籍軍を構成しイラク軍をクウェートから駆逐した。

この地域におけるアメリカの存在感の強化はイスラムの反発を招き、
サウジ出身のウサマ・ビン・ラーディンは「イスラムの聖域」からアメリカを追放しようと呼び掛けた。

2001.9.11。
ニューヨークの世界貿易センターを破壊し3000人の生命を奪った。
戦争の歴史は、それに伴い欧州も、新たなより気味の悪い時代に突入した。
953JTAC
垢版 |
2020/01/13(月) 23:05:39.08ID:au8STqeB
欧州の人々は9.11の推移を怯えながら注視した。
隠謀家達がドイツでもテロの準備をしていた事実は、陰謀の超国家的性格と潜在目標を示していた。

しかし「対テロ戦争」というアメリカの宣言には懐疑的であった。
9.11は、既に欧州内で自分達自身のテロリストの活動の拡大したものだと考えた。
その活動は、軍隊よりも警察と情報部によって対処すべき「犯罪」と見なされた。

欧州はアフガニスタンでの作戦を支持し自国の軍隊を参加させた。
しかしイラクの作戦には懐疑的であった。
正当性をテロへの関連性を政治的賢明さを疑った。

実際の出来事が欧州側の正しさを証明した。
アメリカの意図と技術的優越性は文化的反発により大きく損なわれた。
この反発はアメリカ軍とイラク住民の関係を急速に蝕み、さらに大量の政治的判断ミスが重なった。
RMAにより戦闘には勝利できるかもしれないが、
技術的優越ばかりでなく政治的感性をも必要とする戦争には限られた価値しか持たなかった。
954JTAC
垢版 |
2020/01/13(月) 23:25:18.14ID:au8STqeB
「対テロ戦争」を信じている人々は、欧州が現在、再び戦争状態にあると主張する可能性がある。
同意しない人々も平和が安定しているとは主張しないだろう。

レオン・トロツキーは、かつて「諸君は戦争に関心を持たないかもしれないが、戦争は諸君に深い関心を持っているのだ。」と述べた。

これは、戦争のことは忘れ去ったと信じている欧州人がよく考えるべき教訓である。
欧州は、もはや自分達の戦争を引き起こしたり、それを世界に広めたりはしないかもしれない。
だが、全地球的体制における広範囲な紛争に国境を閉ざすことはできない。
欧州はそこから離れることなどできない。
その体制の一部だからである。

(以上、「ヨーロッパ史における戦争」マイケル・ハワード著、奥村房夫・奥村大作訳の概要、
詳細は中央文庫の原書で御確認を。圧縮した部分も格調高く素晴らしい。)
955JTAC
垢版 |
2020/01/14(火) 00:46:19.58ID:8Npb3gRz
ここで序言を振り替えってみます。

ハワード曰く
「戦争が行われている環境から離してゲームの技術のように戦争の技術を研究することは
戦争自体、さらに戦争が行われている社会の理解にとって不可欠な研究を無視することになる」 と。
「戦いの原則」の否定です。

では「戦いの原則」に依らずいかにして戦略的作戦的戦術的ドクトリンを構築するのか?
その答えがこれ(>>800->>954)です。戦史です。

戦史を批判的に検証して
「政治史・社会史・経済史・文化史の枠組み」において前提条件の変化を分析し、我々自身の教義に再構築します。
教令の字句はあくまでインデックスで元になってる戦史上の事実が本質です。
(ただし、本当に大事なことは教範には書かない。せいぜいコラム程度。
大事なことは陸軍大学に入校してから。)
覇権国家・アメリカの教義は明らかにこうやって作られています。
そして、マイケル・ハワードはアメリカ陸軍の教義にがっつり組み込まれています。
956JTAC
垢版 |
2020/01/14(火) 01:03:18.55ID:8Npb3gRz
マイケル・ハワード世代、ハワード、ローレンス・フリードマン、バーナード・ブロディ等は、
パラダイムシフトの果てにある核戦争への明確な答えは出せませんでした。

これを考えると、コリン・グレイの「戦略の継続性(それでもクラウゼヴィッツは続く!)」は、
今でこそ当たり前ですが、かなり革新的な概念だったことが分かります。
そして戦略の多彩な位相、マルチドメインにて敵国を追い詰めていきます。
また、ルトワックらの「作戦次元の戦争」を組み込んだ「戦争の階層構造」「戦争のパラドックス」の有益性も分かります。
作戦次元を組み込むとハワード戦史の解釈もかなり変わります。
(ただし、材料は洩れなく展開されている。さすがにハワードです。)

クラウゼヴィッツ等の古典と、ルトワック、グレイ等現代の兵学を繋ぐ巨大なHUB。
これがマイケル・ハワードかと。
957JTAC
垢版 |
2020/01/15(水) 00:45:20.61ID:hDb/dOg5
台湾総統に蔡氏再選 最多得票で圧勝、香港問題追い風

https://r.nikkei.com/article/DGXMZO54323410R10C20A1MM8000

支那にとっては打撃。

ただし、わたしゃ台湾には冷淡な感想しか抱けない。
日頃、不摂生でメタボな奴が、数字合わせでダイエットを気取っても信ずるに価しないからです。
958JTAC
垢版 |
2020/01/15(水) 00:55:52.34ID:hDb/dOg5
台湾、経済自立に中国の壁高く 輸出依存4割下がらず

https://r.nikkei.com/article/DGXMZO54339040T10C20A1FF8000?s=4

これがメタボの根拠です。
台湾は支那に輸出依存度で40%。
純輸出(=輸出-輸入)の対GDP比も15%と高止まりです。
蔡が就任してからも1%くらいしか下がっていない。
やる気あるのか疑わしいレベル。
数字は正直です。

日本が対台湾外交を直すとしたら、この数字が改善されたときです。
959JTAC
垢版 |
2020/01/18(土) 01:29:50.08ID:OB5ZsHu3
人口14億のビッグデータを独り占めに 中国はデータで世界を征するか

https://globe.asahi.com/article/11860425

ちょっと前ですが。
この人達、サンプリングというものを理解できないようで。
10億の母集団を推測するの10億は不要です。
10万くらいで誤差はほとんどなくなります。
960JTAC
垢版 |
2020/01/18(土) 01:53:17.68ID:OB5ZsHu3
「統計学の父」と呼ばれたロナルド・フィッシャーという数学者が「ランダム化」という強力な武器を科学の世界に持込みました。
当然、社会科学も甚大な影響を受けました。
(「統計学が最強の学問である」西内啓/ダイヤモンド社)

ランダム化で誤差が少ないサンプリングができれば、そして「プランA」「プランB」が唯一の変化要因であれば、それほど多くない試行で優劣を容易に出すことができます。
会議室でウダウダと原則論にふけってる間にさっさと試行した方が早く正確な答えが出るわけです。

これをかなり突き詰めたのがAmazonと言われ、「アジャスト戦略」として経営戦略の教科書に記載されています。

(顧客をモルモットにして非道な部分もありますが・・・アメリカではまあO.K.らしい。)
961JTAC
垢版 |
2020/01/18(土) 02:07:55.89ID:OB5ZsHu3
核兵器は何回試行すれば戦力化できるか?

ある意味、外部から分かりやすいフランスの場合は210回の核実験を行っています。
内、17回がアルジェリアサハラ砂漠、193回が仏領ポリネシアです。

最初のサハラの17回が弾頭の開発に必要な試行で、後のq193回は発射方式を変えて行っている。
962JTAC
垢版 |
2020/01/18(土) 02:18:05.04ID:OB5ZsHu3
軍事の世界では「3」「11」「22」が目安になっています。

3・・・誤差が公算誤差内に入る回数、起爆の信頼性を担保
11・・・平均値が公算誤差内に入る回数、威力評価の信頼っ性担保
22・・・システム要求への適否を担保し兵器として完成します。

どこぞの国の初期ロットの評判が悪いのは、単純に開発時の試行回数をけちっているからです。
そして初期ロットを犠牲にしつつ「22」に到達しエラーを除去すると、後は嘘のように機能します。
数字、統計値は実に実に正直です。
963JTAC
垢版 |
2020/01/18(土) 02:30:44.87ID:OB5ZsHu3
北朝鮮は2006年から3年おきに1発づつ核実験をしています。
そして、2016-2017年の比較的短期の間に「3」回の連続実験を行いました。
そして、その後はとまっています。

地下核実験なので外部からの評価は困難ですが、「3」で担保できる「起爆」には成功したと。

次は威力を担保できる「11」に挑戦するとこで止まっています。
一つは米朝交渉による。
一つは次の「11」前の準備のためチンピラ・トランプを騙して時間稼ぎ。
一つは起爆後の核連鎖反応が上手くいかず改修。

いずれにせよ、
必ず再開します。まだ数が足りないので。
2020/01/18(土) 16:35:37.81ID:DnFLiTuo
https://i.imgur.com/Tx3TB2o.jpg
965JTAC
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2020/01/18(土) 16:55:12.82ID:ih6MVkKo
「憲法改正」は手段であり目的でも方法でもない。
現行の護憲派と称する左翼の連中は「反国家」の、改憲派と称する安倍晋三一派は「権力維持」の。
長期間、衆参で2/3持ってて発議もしない。はなからやる気ないでしょ?
966JTAC
垢版 |
2020/01/18(土) 17:07:32.25ID:ih6MVkKo
戦争屋からすれば、現行憲法の戦略上の課題は明白で、軍事的な「集団安全保障(多国間の軍事同盟)」に移行できないことです。
それ以外に、この混迷極まる太平洋・インド洋地域でどこに向かうつもりなのか?

また、軍事組織(自衛隊)の位置付けがあまりにも不明確でとても「多次元統合」な戦い方なんかできないことです。
宇宙、サイバー、電磁派?
何から何を守らせるのですか?
宇宙は宇宙平和利用の、サイバー・電磁波は国賊・総務省の管轄で何も、な・に・も、できません。
名前だけ「航空宇宙自衛隊」に変えさせて仕事してるふりするのやめろと。
法的裏付けもないのに滑稽千万です。
967JTAC
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2020/01/18(土) 17:22:51.04ID:ih6MVkKo
もっと言えば、現行憲法はルソー派(GHQ民政局、武装解除、「人民」主権、基本的「人権」)の影響が強く、それにややロック派(「基本的」人権、自衛権・生存権の黙認)が巻き返したものです。
「価値観が同じ」と称する英米のエドマンド・バーク(自然法)の思想は皆無です。

これが問題にすらならない。
本当に「保守」からの改憲ですか?
間抜けなリベラルが雁首並べて改憲ごっこしてるようにしか見えないのですが?

福沢諭吉(ロック)、中江兆民(ルソー)の時代の真剣さから見れば、明らかに後退してる。軽薄です。
これでは、国民全体を引き込むなんて無理ですわな。
政策次元でもっと真面目に議論しろと。
政策論議ってのは大衆を巻き込まずにはいられないものですよ?
968JTAC
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2020/01/19(日) 03:19:50.84ID:5ZYRLuXW
フィッシャーの「ランダム化サンプリング」にはジョン・スノウの「疫学」という対立概念があります。

前者は対象パラメータ以外のランダム化が前提でかなりの精密かつ学術的に厳密な答えが出ます。

それに対し後者は、「科学的な厳密性」はないが、とりあえず処置する、というスタンスです。
例えばロンドンの伝染病の発生が、とりあえずA社の水道と統計上の相関性が認められるなら、
他の要素の厳密な検証は置いておいといて「とりあえずA社の水道を使わない」という解を出します。
969JTAC
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2020/01/19(日) 03:28:50.59ID:5ZYRLuXW
この件でネトウヨ軍オタならピーンとくるのは「森鴎外と白米」事案です。

日露戦争で兵士が原因不明の症状でバタバタ倒れたとき、海軍は経験的に白米を玄米に切り換えた。
陸軍は当時軍事衛生の権威であった森鴎外の方針に基づき「学術的厳密さがない」と黙殺した。

その後、海軍の症状は劇的に改善したが陸軍はそにまま続いたそうです。

現代では、これはビタミン不足の「脚気」と診断されています。
2020/01/19(日) 09:24:50.97ID:5ZYRLuXW
ゲーム・オブ・スローンズの主人公の一人ジョン・スノウは、疫学の創設者ジョン・スノウから来てるんやね。
971JTAC
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2020/01/19(日) 09:43:40.76ID:5ZYRLuXW
白米事案で悪者にされる森鴎外ですが、前線の兵士の「せめて、食べ物くらいは好きなものを食べたい」という欲求も凄まじく
怪しいとは思いつつも玄米に切り替えるのは政治的に難しいかもです。
森鴎外だけを悪者にするのも全体としてはどうかと。

現代では米軍のレーションはクラッカーやドライフルーツみたいなのばっかで本当に不味い。
ただし、ほぼ一ヶ月連続で食ってても健康面は影響出ませんでした。
それに比べて自営業のレーションは美味い。味付けも工夫しています。
が、明確にビタミンに偏りがあり東日本のときに口内炎患者が多発したと聞いています。
日露戦争の森鴎外を笑えません。
最近は長期化する場合はレーションに加えてビタミン剤与えるというが、そもそもレーションとしておかしいだろ。
パッケージ一つで全て完結しいているべきだ。
それが戦闘時のクラス1兵站の前提だからです。
972JTAC
垢版 |
2020/01/19(日) 12:22:43.19ID:5ZYRLuXW
アメリカのレーション区分は現品(生鮮含む)調達、駐屯地/野外調理のAレーション、戦闘時の携行糧食のCレーション(MRE)に加えて、
保存食、野外調理のBレーションがある。
特に近年ではUnitized Group Ration(URG)としてパッケージ化され、野外炊事セット無しでもヒートパックで簡単に調理できるタイプもある。

URG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/81/UGR-Express.jpg/440px-UGR-Express.jpg

これが羨ましくてしかたがない。
AとCだけだと境界のタイミングで食い損ねるケースもままし、長期化した場合の士気の維持にもね。MREで三ヶ月コースとかw
ミリメシマニアか日頃からロクなもの食ってない薄給・青年将校くらいしか耐えられませんぜ。

さらに災派で被災者に給食支援するとき、現状では野外炊事で握り飯、豚汁あたりが定番ですが、
膨大な数量と合わせて考えると衛生面で際どい橋を渡っています。
現品は調理しても夏場は直ぐに腐るので。

これまで、阪神淡路、東日本の二回は幸か不幸か冬場に起きた。
本当にシビアな状態で莫大な給食支援を夏場に実施する経験はまだ無いのではと危惧。
今のうちにURGを普及させてはと。

保守派と称する連中も、イージスアショアやF-35みたいな玩具にばかり注視しますが、
もっと基本的なアウトドアな面を見ろと。
東京の空調の聞いたビルの中で戦争するわけじゃありませんぜ。
973JTAC
垢版 |
2020/01/22(水) 07:10:41.04ID:/6YPpmjL
米国の対支那世論が悪化しています。
どうしたCNN?(Chinese News Network)
いつからネトウヨに?
今、SARSが蔓延しているせいもあるが、一日当たり2-3は支那(China)叩きの記事が出ます。

CNN
https://edition.cnn.com/politics/live-news/trump-impeachment-trial-01-21-20/

「ハイブリッド戦」「超限戦」の反作用です。
見境なしに全戦略位相、全作戦ドメインで敵対行動取ってればそりゃこうなる。
「戦略のパラドックス」ですね。
974JTAC
垢版 |
2020/01/22(水) 07:24:57.16ID:/6YPpmjL
「戦後」、「支那叩き」が「アジア人蔑視」に繋がるのが怖い。(9.11直後のイスラム教敵視)
ここ二十年、尖閣の最前線で支那と軍事的に対峙し、さらには経済面でも米国の支那優遇策(チャイメリカ)で損失を受けてきた日本にとって理不尽ですが。

支那が「クリンチ」にきてるのが分からんかね?
安倍晋三には?
「支那特殊論」に封じ込めるには大事な時期だと思いますが。
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