>>719
その時エノラ・ゲイを単機で迎撃したのは屠龍らしいけど、機関砲を撃ち込むもカスリもせず、機体性能や残燃料の関係で
それ以上の追撃も行えず、単機で侵入するただの偵察機だと判断してそのまま帰投したそうで。

そしてその時撃ち漏らしたB-29が原爆を投下し広島を全滅させた事を知った時、そのパイロットは
「なぜあの時体当たりをしてでも原爆投下を阻止しなかったのか」と死ぬまで後悔し続けたとか。


それとは別に、原爆投下時に広島市付近を飛んでいた紫電改のパイロットが原爆炸裂の瞬間に居合わせ、更にきのこ雲に
覆われる直前の何もかもなぎ倒された広島市中心部も視認していたと。

広島原爆投下を眼下に見た紫電改操縦士がいた!「これは戦争じゃない。虐殺だ…」(産経 2016 5/30)

1945(昭和20)年8月6日午前7時45分、22歳だった第343海軍航空隊(通称・剣部隊)少尉、本田稔は、兵庫県姫路市の
川西航空機(現新明和工業)で真新しい戦闘機「紫電改」を受け取り、海軍大村基地(長崎県大村市)に向けて飛び立った。
高度5千メートル。 抜けるような青空が広がり、眼下には広島市の街並み、そして国宝・広島城が見えた。

その瞬間だった。 猛烈な衝撃にドーンと突き上げられたかと思うと紫電改は吹き飛ばされた。
操縦桿は全く利かない。 必死に機体を立て直しながら地上を見て驚いた。 「街がない!」

広島の街が丸ごと消えていた。傾いた電柱が6本ほど見えるだけで後はすべて瓦礫。炎も煙もなかった。
やがて市中心部に真っ白な煙が上がり、その中心は赤黒く見えた。白い煙は猛烈な勢いで上昇し、巨大なきのこ雲になった。
「弾薬庫か何かが大爆発したのか?」

そう思った本田は大村基地に到着後、司令部に事実をありのまま報告したが、司令部も何が起きたのか、分からない状態だった。(続く)