>>591
東に出ないということはウェーク島も占領しないこと
そのため、アメリカ海軍太平洋艦隊はウェーク島死守する羽目になり、同島周辺へ少ない艦艇を張り付けておく必要が生じてほぼ動けず

また、航空隊の外戦作戦実施部隊の半分は北太平洋防備用のために国内にとどまったまま
4月のドーリットルは爆撃に2機のみ成功。あとは哨戒機に発見されて上空待機していた戦闘機が撃墜

5月にはパース上陸作戦を実施したため、オーストラリアしかもメルボルン側荷揚げ港であるエスペランスを死守する必要が生じ、南洋の一番東側のみ進出
 東洋艦隊(ウォースパイトなど)がペナンへの攻撃を仕掛ける(ペナン沖海戦)も、ほぼ海の藻屑となり、インド洋の制海権も危うくなった
 エスペランス沖では水上艦艇同士の戦いが3度発生し、9月の3度目に日本軍が押し切った。双方戦艦各2隻沈没・各2隻中破

これで政治的にも逼迫した状態(中間選挙・オーストラリアとの関係)となり、アメリカは政治色の強いインパクトのある作戦を実行する必要に迫られ、
10月に釧路威力偵察上陸作戦を敢行するも、沖合で発見され、修理後再びリンガ泊地へ回航する用意ができたばかりの大和以下が急行。厚岸沖海戦が行われて米艦隊撃退

1942年11月の中間選挙では下院120議席・上院10議席をそれぞれ失う大敗を記し、大統領と議会がねじれてしまった
これを受けて、オーストラリアとニュージーランドは条件付き降伏を日本に申し入れ、米軍に撤退を要請
天皇陛下は自国軍のみかつ兵力を制限する条項を付けただけでそれをほぼ認め、オーストラリア方面軍の撤収を指示
しかし、米軍はオーストラリアを相手に戦争を始めてしまうものの、日本軍は勅令によって無視を決め込み撤退
これには全世界が驚いた

という線でどう