大和型の副砲については、ホント運が尽きてたかもしれんが、坊の岬沖海戦でホントに弱点として露呈したので…
生き残りの記録だと、あそこから艦内に火が回って、鎮火も半分ぐらいしかできずに
そして、最後には主砲弾薬庫に火が回って爆沈
せめて、注排水ポンプの性能がもっとよければな…でも当時の日本の技術や工業力の限界だからどうにもならん
神経質なまでにバイタルパートを狭めたのに、なぜ第一第二副砲をあそこに配置してしまったのか