>>845
ヴィルヘルムスハーフェンへは開戦劈頭の1939年9月4日、10機のブレニムが
空襲へ向かったが成果を挙げられないまま5機が撃墜された。
その後、12月18日に22機のウェリントンが向かったが途上でドイツのレーダー網に
引っかかり、ドイツ湾の上空で迎撃に遭い12機が撃墜され、3機が損傷して目標に
到達することもできなかった。その後、ヴィルヘルムスハーフェンへの空襲は
1941年7月8日、B-17が投入されるまで試みられることはなかった。

航空隊さえこの有様では、第一次大戦のドイツ海軍みたいに相手の基地を砲撃しに
いくなんてイギリスも考えなかっただろう。1940年4月9日にはロドニーがJu87の
SD500半徹甲爆弾に弾薬準備室直上の装甲甲板を割られ、不発だったから良かった
ものの起爆していたら大惨事は免れなかった(『The Battle for Britain』、Anthony
Cumming著、Naval Institute Press、2015年 p.111)なんて目に遭ったことだし。