■ 30年戦争 ■
この戦争は、神聖ローマ帝国という枠組みを越えて全ヨーロッパの情勢に多大な影響を与え、
その後のフランス革命に至るヨーロッパの国際情勢を規定することになった(ヴェストファーレン体制)。
1648年に締結された史上初の多国間条約であるヴェストファーレン条約(ウェストフェリア条約)によって戦争に最終的な決着がつけられ、
この結果、およそ300に及ぶ領邦国家の分立状態が確定することになった。
神聖ローマ帝国は、この後も1806年に解体されるまでの間存続した。
オーストリア・ハプスブルク家は帝位は保つが、実態としてはドイツ王ではなくオーストリア大公、
後にオーストリア皇帝として18世紀、19世紀を生き延びることとなった。

長期間にわたる戦闘や傭兵による略奪でドイツの国土は荒廃し、当時流行していたペスト(黒死病)の影響もあって人口は激減し、
交戦国間の経済にも多大なマイナス効果を及ぼすことになった。伝統的な封建階級は没落し、
代わってユンカー層など新たな階層が勃興する契機となり、領邦各国が絶対王政的な主権国家化した。
このような中、求心力を弱めたハプスブルク家に代わりホーエンツォレルン家が台頭、ドイツ民族の政治的重心が北上し、
後世のドイツ統一における、小ドイツ主義の萌芽となった。