【M4シャーマン】汎用戦車 4【T-34】

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2020/02/06(木) 00:27:17.75ID:RJlG1HQR
大戦中大量生産された戦車
どちらの方が優れているのだろうか?
2020/02/26(水) 18:07:41.10ID:FTwo45+V
大戦末期にはベルリン防空壕の中でヒトラーに忠誠心を示すため(ベルリンから逃げるため)
空軍省や海軍将校がウチは首都防衛の人員をこれだけ出します、と競い合ったとか

応援に駆り出された海軍の兵隊さんが「おっしゃネイビーブルーにぬるか」
空軍の兵隊さんが「Bf109のライトブルー塗料貸してくれや」と気分良く塗ると
いう状況はあるかもね。
2020/02/26(水) 21:16:01.31ID:j9RYheik
無い無い、空軍地上部隊も海軍歩兵もヘッツァー持ってない、
そもそも当時のヘッツァーは工場で迷彩塗装済みだし
ドイツ軍に対し蜂起したプラハ市民が持ち出した、砲が無くて
代わりに機銃くっつけたヘッツァーは錆止めプライマーの上にチェコ国旗
https://www.imgmsplus.com/item/58000/58477_3.jpg
2020/02/26(水) 21:44:44.62ID:FTwo45+V
海軍歩兵師団てパンツァーファウストと小銃のみで
ブッセの第9軍に編入されオーデル戦線に送られた
これはひどい、しねって言ってるのと同じじゃね?
2020/02/26(水) 22:39:31.14ID:jOzxd08j
>>381
黄色い帯入れたチハ車みたい。
同じような効果あるんだろうか。
2020/02/26(水) 23:02:15.90ID:j9RYheik
>>385
ただ2枚目の画像で転輪まで迷彩が入ってるのは、戦後の塗り間違い
大型転輪はそれぞれ1色のみで塗らないと、回転した時に目立ってしまうから
2020/02/26(水) 23:04:32.66ID:8L1ZKcIs
>>266
IS-2戦車の戦闘使用の非常に異なる結果の例は次のとおりです。
リヴィウ・サンドミール作戦中、第57警備隊のIS-2の2つの戦車が待ち伏せで避難し、
敵のはるかに優れた戦車部隊を止めたエピソードがあります。
2日間で、2つのソビエトの重戦車の乗組員は、Visceaの橋頭の破壊の脅威を排除し、
合計17のドイツの戦車とSAUsを破壊しました。このうち9件はラホフのアカウントにあり、
8人はルカニンのアカウントに載っている。
1944年8月、第71OGTTPはサンドミールビーチヘッドで大隊「ロイヤルタイガース」の敗北に参加しました。
この戦闘中、IS-2戦車は6つの「ロイヤルタイガース」を撃墜しました。
1ヶ月半の戦闘の間に、この連隊は17のドイツの戦車、2つのSOUと3装甲兵員輸送車を撃墜し、破壊しました。
損失は3タンクが焼け、7がボロボロでした。
388名無し三等兵
垢版 |
2020/02/26(水) 23:07:36.71ID:8L1ZKcIs
1944年10月、第79OGTTPは、セロツカ市の北にあるナレフ川の上にセレツキービーチヘッドを開催しました。
敵は合計200輌以上の戦車を持ち、橋頭を排除しようとしました。
1944年10月4日午後7時までに、ソ連軍の状況は脅かされました。21:00にタンカーは第105ライフル隊の第44警備隊ライフル師団と共に攻撃を受けました。
激しい火災の下で動いて、彼らは敵の重戦車に直面しました。ドイツのT-VとT-VIの6輌が撃墜され、破壊されました。
損失は1つのIS-2タンクが燃え、1ヒットでした。10月6日までに、さらに4つのソ連、3つのドイツの戦車と2つのドイツのapcが失われました。
10月6日から10月9日まで、防衛を巧みに作り出す連隊は、1つの戦車を失うのではなく、11台の重敵車両を燃やしました。
これらの戦闘の間、第30警備隊重戦車旅団のイワン・ヒツェンコ中尉の指揮下にあるIS-2戦車の乗組員もまた、自分自身を区別しました。
彼の戦車小隊は、右サイドの防衛を維持するために割り当てられました。小隊はナチスの柱を攻撃した。
この戦いでヒツェンコの戦車は、彼が焼け落ちる前に、7つの敵の戦車「タイガー」と1つが突っ込んだ大砲の火を発射しました。
ドイツ軍は右サイドで突破できなかった。
2020/02/26(水) 23:09:38.04ID:8L1ZKcIs
ハンガリーのデブレツェンに進軍した第78OGTTPは、10月6日から31日まで飛行場で46輌(6匹のタイガースを含む)、25のSAV、109の銃、38の装甲兵員輸送車、60の機関銃、2つの弾薬庫と12機を破壊しました。
連隊の損失は2人のIS-2ファウストパトロンに及び、他の16人は様々な程度の被害を受けた。
帝国では、戦闘は特に永続的でした。第70OGTTPは、ヴィスル川を強制し、300キロ以上を通過し、1月下旬にシュナイデムル市に行きました。彼の包囲は2週間かかり、9台の損傷した車の連隊を犠牲にしました。
第82OGTTPは2月8日午前11時にクロイツブルク地区で攻撃を開始した。13:00から11の敵の戦車は、連隊の「芸術トゥルム」対抗部隊を伴ったが、損失を被った後、後退した。
午後8時までに、クロイツブルクは連れて行かれました。戦闘の日の間に、連隊は4つの戦車、4つのSUS、6つの銃と10の機関銃を破壊しました。
戦闘の日の間に連隊の損失もかなりでした:11戦車がヒットし、1つが立ち往生しました。
2020/02/26(水) 23:13:34.57ID:8L1ZKcIs
1945年1月14日から31日までの第80 OGTvTPのヴィスロ・オーダー作戦では、
敵戦車と19の砲兵、41の砲兵、15の機関銃、10の迫撃砲、12のダッグアウトを破壊しました。
関係する23台の車両のうち、どれも取り返しのつかないほど失われました。
第81OGTTPは1945年2月16日に3時30分に久研を攻撃した。
連隊が取り付けられた第144歩兵師団の司令官は、IS-2がすべてを自分で行うことができると信じていました。
IS-2の攻撃は、2つのIS-2を燃やし、さらに2つを撃墜したドイツ軍によって横たわる火災に見舞われました。
第4戦車会社は、ネムレットン郊外の3つのIS-2第2タンク会社の退社をカバーしたが、切断された歩兵がなければ成功を収めることはできなかった。
2つのIS-2は、戦いのこの段階で撃墜されました。3時間、タンカーは歩兵、戦車、敵の対戦車砲と戦い、さらに9機のIS-2を失った。
彼らの歩兵を魅了する試みは失敗した。その結果、クケネンは2月16日に一度も連れて行かなくなり、連隊は試合を回復し維持するために戦闘から撤退した。
1945年2月17日現在に記載されている15機のIS-2のうち、7件が運用、2件の平均修理、3件が戦場から避難せず、3件が償却された
(つまり、取り返しのつかない損失で記録される可能性がある)。
明らかに、この戦いでドイツ側は、1945年2月15-27、1945年の連隊の成功のように、4つの戦車、4装甲兵員輸送車、
17の銃と1つの捕獲された突撃兵器が破壊されたように、深刻な被害を受けませんでした。
文書によると、これらの成功は、2月15日と2月19-27日の戦闘中に達成され、連隊はクケネン近郊で2月16日の敗北から回復した。
2020/02/27(木) 00:12:49.20ID:JrwC+NND
機械翻訳まんまじゃなくて少しは推敲しろよ
2020/02/27(木) 09:30:58.40ID:BxWJ1FgU
>>383
この時期のヘッツァーって装甲板は前面だけで、他は全部、普通鋼だってか
前面以外は対戦車ライフルでも簡単に抜かれそうな
2020/02/27(木) 09:44:39.81ID:CMIgu151
いや何を言ってるんだ?防弾鋼だろうが軟甲だろうが、錆びるから下地にレッドプライマー塗るのは変わらんぞ
これは生産ライン上にあった、砲の搭載と迷彩塗装前の物を持ち出して、抵抗活動に使った物なんだが
2020/02/27(木) 12:15:16.10ID:RYJXWeAK
うるせーよバカ えっらそうにw
2020/02/27(木) 13:49:48.34ID:tjp9Xlfo
末期だと迷彩色のレッドブラウンを塗る代わりに、その部分のレッドプライマーに上塗りしないとか、
転輪など部分的にプライマーしか塗らずに戦場に出てきた戦車とか、プライマー剥き出しが見られる
2020/02/27(木) 13:58:01.58ID:/FqtWMCL
機械翻訳でもいいけど一行だけさいごに結論を付けてくれるとわかりやすい
たぶん前後からして、スターリン戦車は戦場で有用だったということ?

スターリン戦車は不人気でザロガ本以外にまとまった日本語資料がほとんとない
たまに月刊グランドパワー特集、あと模型雑誌くらいか
ソ連戦車はタミヤにたいぶきらわれているようだしIS2プラモはだいぶ遅かった
T34は古い金型、KVはリメイクするとか?
欧米人がすごくスターリン戦車をきらってタイガー戦車を愛好してるからな
スターリンという名前は、欧州ではヒトラー以上に禁忌らしい
2020/02/27(木) 14:06:11.03ID:Pgmy3OLw
単純に昔から、ドイツ戦車よりずっと売れなかったんだよ、ソ連戦車のプラモデル
ドラゴンがタミヤに代わる決定版たる(日本人設計チームによる)T-34-85を出した時も、世界では思った程売れなかった
タミヤの人にT-34リメイクしないんですか?と質問したモデラーに、古いのもまだ売れてるんですよね、と返されたとか
2020/02/27(木) 14:27:52.30ID:/FqtWMCL
ソ連戦車を出してくれそうなのは
香港のドラゴンモデルズ(社長がマニア、最近代替わりした)
中国本土のトランペッター・ホビーボス(コピー多い)
ロシモスクワ市のズベズダ(中華より技術は落ちる)

あたりですか
2020/02/27(木) 14:37:31.66ID:8lgWgzhV
昔出てた日本初?のスターリン戦車本の最後の方にモデラーが書いた記事があってソ連戦車は模型でも人気ないけど、パテはみ出ても
ソ連戦車の溶接部を再現してみたw
と誤魔化せるから楽だよ、とヒデー事書いてた

https://www.kosho.or.jp/upload/save_image/26010140/20170912181932240774_75b155bbdaa3ec37872f9ef3f66a0e75.jpg
2020/02/27(木) 14:40:13.12ID:dGYcHWj5
>>386
ご教示ありがとうございます。
74式の転輪が緑か茶での塗装はそういう理由だったのか。
2020/02/27(木) 16:16:37.17ID:UH3zb/Qv
>>398
何を出して欲しいの?ソ連軍の戦車って大戦〜現用含めて
有名処はほぼ出尽くして無いか?
Объектなんたら系の試作車・少数生産車も含めて全部出せとか
何か特別に好きなものが有って既存各社のキットを一通り作ったが
どれも気に入らないとかなら別だけど
2020/02/27(木) 16:19:11.07ID:Jnk9fEwV
https://www.flickr.com/photos/bronpancerna/26309861143/
https://www.flickr.com/photos/bronpancerna/26845290361/
ハンガリー動乱で撃破されたIS-3
2020/02/27(木) 16:23:19.58ID:UH3zb/Qv
>>402
これモデラーの間じゃ少々知られた写真
車体正面山形合わせの装甲板の突合せ部分の溶接が
かなり大胆で粗いのがよくわかる
タミヤのJS-3キットみたく綺麗じゃ無い
2020/02/27(木) 16:54:27.28ID:opu83p/i
上坂すみれを前面に出してアピールすれば、
それなりに売れそうなんだがな、ソ連戦車。
さすがにアイドルヲタと、ミリタリーモデラーヲタは被らないかもしれんが。
2020/02/27(木) 17:15:53.73ID:Jnk9fEwV
艦これで軍艦の、ガルパンで戦車のプラモデルが「特需」と言われた程、新しい購買層を開拓したのは事実
ただ比較的新しいが部品分割がとんでもなく多い、初心者向けでない物をパッケージ替えで出しても、買うだけで組めなかったんじゃなかろうか
2020/02/27(木) 17:37:07.78ID:z7EsKGY0
ここでそう言う話は要らないよ
2020/02/27(木) 17:50:15.07ID:/FqtWMCL
タミヤが戦車プラモに手を出したのは形が単純で金型代が安い
ということで欧州に持ち込んだら「戦車は不人気」
「ヨーロッパは悲惨な戦場を体験してるので戦車の演習に反発してる」
といわれながらタイガー戦車はよく売れてカリウスの薬局にも置いてあったとか

なお左翼ドイツ人にはカリウスは右翼で、タイガー薬局でサイン入りの本を売ってもうけ
コドモがなにか買うとナチ大物であるカリウスじいさんとの記念写真を撮影させた!ゆるせんと
極めて評判悪い。まぁ一応エースだしぎゃくにご褒美だと思うんだが・・・
2020/02/27(木) 18:34:44.63ID:StsUm+Yl
ソ連タンクのプラは部品点数がやたらと少なくてつまらん
迷彩塗装も毒車にみたいに派手じゃないから映えない
デザインはカッコいいけど
2020/02/27(木) 18:36:48.45ID://vrjJUU
>>403
多少汚くとも突き合わせの開先がちゃんとビードで埋まってれば強度的には問題ない
それより溶接ビード毎にスラグをきちんと全て取り除いているかどうかの方が重要
2020/02/27(木) 18:41:04.29ID:z7EsKGY0
>>409
>>403は模型の出来の話だろ どう読んでも
2020/02/27(木) 19:14:55.17ID:/FqtWMCL
個人的にはタミヤで初期IS2車体のやつがほしい
ローマ人の鼻タイプはかっこわるいし黒騎士の再現ができない・・・
IS-3は走行の振動で前部の装甲板の溶接が剥がれ
すぐ再強化されたとザロガが書いてた

M4シャーマン76ミリの「ヤセ型」砲塔ってのも欠陥品なのかな
2020/02/27(木) 20:31:45.95ID://vrjJUU
>>411
> M4シャーマン76ミリの「ヤセ型」砲塔
ユニオン スチール キャスティング社製の鋳込み刻印D82081Y(通常はD82081)
なる共通点が判明しているので、痩せ型の木型(から起こした鋳型)が存在した
と言うのが最新の考証
413名無し三等兵
垢版 |
2020/02/27(木) 20:52:27.22ID:Yt93PIe+
>>396
プロジェクトの評価
IS-2は第二次世界大戦に関与した最も強力なソビエト戦車であり、40-50-tカテゴリーと重戦車のクラスの両方で、
当時の世界で最強の車両の一つでした。しかし、この機械の評価は、戦争に関与した両当事者のプロパガンダと、
ソ連のイデオロギー闘争に関連する何かまたは別の理由で、戦後の神話の多くによって非常に複雑になっている。
全体的に、IS-2は第二次世界大戦のすべての戦車を上回り、そうでは無い点でも他の戦車に次いで2番目である
(例えば、弾丸の速度はT-6、人員装甲はタイガー2)。
ロール装甲が存在しない場合、前線部品と他の多くの部品は、単純な手段で低技能労働者によって単純な技術的条件
の下で鋳造装甲から作られ、戦争で機械を生産するための効率を高めた。このような装甲はしばしば欠陥としばしば
粗い表面を持ち、さらに両方向の鎧の推定厚さから逸脱することにつながった。
IS-2は故障なしで1,000キロを通過、例えば、パンサーは巨大な非戦闘損失(数十%)を被った技術的な問題
(はるかに高い生産と修理コストその広い名声)、IS-2は、多くの場合、異なる角度から疑問視されています。
414名無し三等兵
垢版 |
2020/02/27(木) 20:56:06.80ID:Yt93PIe+
当初から、IS-2はCCMのリーダーシップによってトップマシンに課せられたものと見なされていましたが、
特に122mm砲塔は「彼の」KV-85(最悪のトランスミッションを持つ経験豊富なバージョン)の生産に確立されたベースに置かれました。
J.J.コティンがCHKのリーダーの一人であったにもかかわらず、実験工場No.100で彼の指導の下で開発されたISタンクは、
他の誰かのマシンとしてCHKで認識されました。その結果、一般的に有望で成功しなかった独自の重戦車を作成するために、
秘密裏にCHKで並行作業が行われました。しかし、時々2つの大きな問題が生じた、IS-2よりも紙の上でより完璧な重いタンクのプロジェクトと
プロトタイプがあり、後者の問題は「きしむ」でした。状況を改善するために、タンク建設の人々のコミッショナーV.A.マリシェフは、
IS-2部隊の出力と品質をまともなレベルに持ち込むために行政力を使用しなければならなかった。
415名無し三等兵
垢版 |
2020/02/27(木) 20:58:45.48ID:Yt93PIe+
重いブレイクアウトタンクに選ばれた事に対する疑問の第2は、100mm砲を搭載したIS戦車のプロトタイプの存在です。
●1944年の100mm砲は、高い理論速度にもかかわらず、122mm D-25T砲ほど重戦車には適していなかった。
軍事史家M.N.スウェリンは、122ミリメートルの大砲D-25Tの選択のための決定的な要因は、彼は1943年9月にIS-2の
武装のための芸術システムの選択の開始によって、その中に100ミリメートルの銃の設置に適していなかった、
と他の提示された変種 - 107ミリメートル銃と異なる口径の榴弾砲を明らかに呼び出します122mm砲に劣っていた。
100mm S-34砲は州の試験に繰り返し失敗し、1944年2月までにまだ採用の準備ができていませんでした。
●後に繰り返し改定された後に登場したD-10Tは1944年7月3日に採用され、装甲貫通発射物の生産は同年11月に始まりました。
密なレイアウトのタンクでは、ISと同様に、大砲の別々の充填は、逆説的に、より小さな口径の単位砲弾よりも多くの弾薬を配置することができました。
ユニタリーカートリッジは、個々のシェルと比較して長く、それを行うことができる最大 - 36 100 mmの弾丸を配置し、
そのうち6発はほとんど砲に充填することができませんでした(メカニックドライバーの場所の近くに保管)。122mm砲の弾薬は28発で、場合によっては42発となった。
416名無し三等兵
垢版 |
2020/02/27(木) 21:07:42.26ID:Yt93PIe+
100 mmのユニタリーカートリッジの2番目の明らかなパラドックスは、122mmの別々の装填とほぼ同じ発射速度だという事です
- カートリッジの同じ長い長さと戦闘コンパートメントの容量の為。静かな環境の平地では発射速度で勝ったが、大きな揺れを伴う
戦闘条件でのテストは発射速度の増加はごくわずかであることが証明された。
100mm砲の防御は122mm D-25Tよりも高いという一般的な主張は、1950年代半ばの発射台に基づいており、1944年にはソ連の
装甲に対する行動に相当し、1950年代半ばの発砲では、1944年にはソ連の射撃に相当するものでした。85mm傾斜装甲(パンサーの
上部の正面部分)の有効射程を持つ122mm弾の脆弱性を高めるドイツ戦車は、質量と運動エネルギー(ドイツ75mmおよび88mm)
により100mmよりもほぼ倍増しました。砲弾はドイツの装甲にさらに悪い作用を持っていた、つまりドーピング要素がない場合でも、
ドイツの冶金学者は中口径の装甲貫通砲弾に対して鎧のまともな抵抗を達成することができた)。さらに、122mmの発射物の高爆発力
およびシュラプネルパワーは100mmのそれよりもかなり強かった。
これらの仮定に基づいて、IS-2は、その戦闘と運用特性の総計で、攻撃作戦のための戦争の後半のRCCAの要件を満たすことができる
唯一のソ連の重戦車であったと主張することができます。強力で高度な防御を克服します。
IS-2に対抗するために、敵は重い対戦車兵器を必要とし、一般的に高価でした。
2020/02/27(木) 21:12:35.21ID:/FqtWMCL
>>408
グランドパワーのスターリン塗装図によれば1944年の第四親衛軍は
スターリン初期車体に派手派手な3色迷彩をほどこしていた
ホワイトに近いイエロー?が基調でグリーンとレッドブラウンの迷彩
もとはこれが制式塗装で塗料がないために実行できなかったらしい
418名無し三等兵
垢版 |
2020/02/27(木) 22:01:25.56ID:Yt93PIe+
タイガーとの衝突

IS-2とドイツの重戦車「タイガーI」または「タイガーII」を含む戦闘エピソードの問題は、
軍事またはコンピュータゲーム指向のフォーラムで最も熱く議論の一つです。
文書の分析の結果によると、有名な歴史家M.バリヤティンスキーとM.スピリンは、
タイガーとIS-2の対立のかなりの数のエピソードについて主張しています。
重い吹き出物のタンクは、一般的に、重戦車との戦闘のために設計されていないので、
これは驚くべきことではありません。
これらの戦車の実績のある最も有名なエピソードは、オグレンドゥイ近くで
第501重戦車大隊のタイガーIIと第71OGTVTPの戦いです。
第71OGTVTP警備隊の司令官であるユディン中佐が死亡し、
連隊はさらに3つのIS-2と7人を失った(他の4人は連隊自身の軍隊によって回収された)、
そして、双方が大きな損失を被った。第424重戦車大隊の司令官、サミッシュ少佐が死亡し、
大隊はほぼ全試合を敗北し、第61戦車旅団の司令官N.G.シュチュコフもソ連側で殺害されました。
IS-2のよく知られた欠陥 - 遅い発射速度 - 戦いの実際の状況では、その結果にそれほど影響を
与えはありませんでした:中尉クリメンコフ、ベリャコフとウダロフは、いくつかのタイガーIIを撃墜し、
破壊し、そのためにはいくつかの命中弾が必要でした。
2020/02/27(木) 22:15:18.99ID:Mh3GHS0F
>>417JS-2では、
仕様から1944年ウラル重機械製造工場生産分と思われる車両を
1945年東部ドイツ国内の戦区で撮影した・・・とされる3色迷彩の写真が有るらしい

車体上部と砲塔・砲身が明るめのサンドイエローベースにグリーンとブラウンの帯
車体下部・転輪はよく見られるグリーン一色
所属部隊は不詳、車体番号は「301」、車体前面には
「Поехать в Берлин」(ベルリン行き)のスローガン

その写真を見て再現したとするプラモ完成品を模型誌で見たが
肝心の、その元の写真と言うのがどうも発見出来ない
模型誌の記事なんてのは資料性としては弱いとは思うけどなw
2020/02/27(木) 22:23:43.69ID:Mh3GHS0F
こんな感じ
http://uproda11.2ch-library.com/e/e00274572-1582809778.jpg
2020/02/27(木) 22:24:31.90ID:/FqtWMCL
2ヶ月で58両撃破のトップエース、ラヴリネンコ親衛中尉がT-34-57で
IS2トップエースのルカニン中尉と対決したらどっちが勝つの?


150台撃破のドイツエースは、ロシア側が当時の戦車損失データを
あたった結果、3分の1が実際の数値ではと言ってますね。
つまり150=50両ぐらいだと
2020/02/27(木) 22:26:13.50ID:/FqtWMCL
>>420
それそれ白っぽいサンドイエロー!
2020/02/27(木) 22:28:00.76ID:Yt93PIe+
>>421
その手の武勇伝は眉唾ですね
マス大山の2000勝1敗みたいなw
2020/02/27(木) 22:29:05.16ID:Mh3GHS0F
俺が419で言ってる個体と420の画像は関連無いから
そのつもりで
2020/02/27(木) 22:29:14.60ID:YhggsRXx
https://www.o5m6.de/redarmy_old/Camouflage.html
2020/02/27(木) 22:34:06.03ID:/FqtWMCL
ハルトマンの300撃墜も30機撃破ぐらいだとにらんでる
いやマジで同僚や部下の評判は悪かったらしい
なまいきな小僧だと
2020/02/27(木) 22:49:42.84ID:Yt93PIe+
連合国軍で迷彩のイメージはフランスぐらいしかないな
自軍に誤射を避ける為にワザとしなかったのかも
2020/02/28(金) 02:12:08.02ID:DuY5Kacv
イギリス軍はアフリカ戦線で独自の迷彩塗装をやってたじゃないか
2020/02/28(金) 07:55:54.32ID:nsvzjfo9
アメリカ戦車はチュニジアに上陸した当初はオリーブドラブに目立つ丸に白星、砲塔に白帯の車輌も
しかしポーランドのときのドイツ戦車の白十字と同じく、非常に目立って対戦車砲の的になってしまう
その後白星は塗りつぶされ、砂色の迷彩が施されたが、よく見ると塗料ではなく、現地の泥を水で溶いたものだ
2020/02/28(金) 10:28:30.18ID:sSSINvD5
風景に溶け込んで目立たない事だけが迷彩の狙いでは無いんだよな
英軍のライトブルーやサンドイエロー、黒などを使った直線的な色分け塗装は
目立つ事はもう想定内、しかし射撃の的にされた場合には
車体の大きさや形状を誤認させる視覚効果を意図したもの
2020/02/28(金) 11:42:31.13ID:R4dMnLH1
軍艦の迷彩と同じ考え方だな
2020/02/28(金) 12:45:48.95ID:ECrvGLDV
痛車のアニメキャラも、
デフォルメ次第で迷彩にならないだろうか
2020/02/28(金) 12:50:11.23ID:2mPZMGmx
ユニオンスチールのヤセ砲塔は側面の装甲を削ってそのぶん薄くなってる
説があるが、もしそうなら物凄い悪評になるはずだが
初期のシャーマンは「池のアヒル」に例えられるほど貧弱で弱っちかった
2020/02/28(金) 13:00:37.13ID:2mPZMGmx
戦時中にドイツ兵器局がずべての戦車をテストしたところ

シャーマンが航続距離がもっともみじかく130キロでガス欠になった
もっとも足が長いのはT-34で450キロもはしり付属の90リットルタンクで
醤油チュルチュルすると700キロも走った

ロシア人がレンドリースの米国戦車は恐ろしく燃費が悪く・・と迷惑がった
のは理由があったということだが、100キロごとに給油では何回も給油車
にきてもらって停止するから作戦に支障をきたす
前線ちかくで全車燃料が切れて給油中にパンター戦車の強襲を受けたらさいあくだ
2020/02/28(金) 13:11:29.81ID:ZL3I7lMm
https://topwar.ru/uploads/posts/2017-05/1494240109_is-2_1.jpg
砲身を見る限り迷彩だな
2020/02/28(金) 14:00:19.51ID:nsvzjfo9
>>434
でもソ連に供与されたシャーマンはM4A2だけ、航続距離は214kmなんだが
2020/02/28(金) 14:02:21.25ID:ZL3I7lMm
https://i.redd.it/4uiube51xf011.jpg
迷彩パターン見えるわ301
2020/02/28(金) 14:48:29.57ID:nsvzjfo9
アップで見ると、吹付け塗装ではなく泥を塗りつけた感じではあるが

ソ連戦車の迷彩塗装例、本来規定されていた三色迷彩が施されたものも一応あった
https://www.o5m6.de/redarmy/camouflage.php
2020/02/28(金) 17:39:37.26ID:l42XjQTP
海軍でも艦首に波飛沫のペイントして、速度誤認を狙ったりしてたね
440名無し三等兵
垢版 |
2020/02/28(金) 20:43:36.73ID:HfMPtWak
戦闘履歴
IS-2戦車は1944年初頭に初めて戦闘に参加し、エリートガードの赤軍重戦車連隊を装備しました。
連隊は、5つの戦車連隊の内4つの連隊に21輌のIS-2戦車を保有し、1つは連隊司令官によって使用
されていました。特別な戦車連隊は重要な攻撃のために確保され、しばしば対戦車防御ラインや
バンカーのような要塞化されたドイツ軍の陣地を突破するための先陣攻撃に使用されました。
バンカー、建物、掘り込まれた武器を破壊し、ドイツの装甲車両を攻撃することにより、攻撃で歩兵を支援する戦車。
突破が成功すると、より軽快でより多くの軽タンクが掃討に使用されました。
IS-2戦車は1944年初頭にウクライナで最初に行動を起こし、8輌の損失で40輌以上のタイガーと
エレファントを破壊したと主張しました。ドイツの重戦車はIS-2を撃破できましたが、122 mm砲に耐えられる物はありませんでした。
441名無し三等兵
垢版 |
2020/02/28(金) 20:49:45.29ID:HfMPtWak
オグレドフ
1944年8月11日の朝、第16装甲師団は、
オグリドフの町にある第71独立衛兵重戦車連隊によって強化された53d衛兵戦車旅団をシュタシュフに向けて攻撃しました。
非常に砂の多い地形により、11輌のキングタイガーは道路を守らなければなりませんでしたが、防御するソビエト軍は戦車と
突撃銃を待ち伏せの位置に配置し、ドイツの既知の進入路に集中しました。攻撃が始まると、ソビエトIS-2戦車からの砲火に
より3輌のタイガーIIが破壊され、数時間後に400メートル未満の距離でT-34 / 76によってもう1輌のタイガーIIが撃破されました。
その日の後半、ソビエト軍はオグルドフの町を反撃し、占領し、放棄された3輌のタイガーIIを発見しました。
これらの戦車の捕獲により、ソビエトはクビンカでテストを実施し、その長所と短所を評価することができました。
次の2日間、赤軍はスタシュフで前進し、数回の反撃で、重戦車大隊501はさらに7つのタイガーIIを失いました。
これらの事実上すべては、それらのドイツの攻撃に対して防御的な位置を占めるソビエトの戦車によって破壊されました。
3日間の戦闘で、ソビエト軍は30輌のタイガーIIのうち14輌をほぼ同数のソビエトIS-2とT-34に破壊または捕獲されました。

リソウ
1945年1月12日に、第524重装甲大隊のタイガーIIの列がポーランドのリソフ村近くのIS-2戦車との短距離戦闘に関与し、
ドイツとソビエトの陣地が大きな損失を被った。
442名無し三等兵
垢版 |
2020/02/28(金) 21:48:50.45ID:Ns0bkaqv
>>434
そのテストする戦車を前線に回していれば、
歩兵支援戦車にはなりそうなのにな
やはり誤射されるか?
2020/02/28(金) 23:37:40.72ID:2mPZMGmx
赤軍の57ミリ砲と英軍の6ポンド砲は同じ口径ということもあって
どっちが優れてるか激論になってるが

ロシア人は57長砲身が優れてるといい、イギリス人は6ポンド砲が
短い砲身だが質のいい鋼材のため強装弾にたえる、ロシア製の57ミリは
砲身の鋼の質悪いため強度に劣ると

じっさい設計者のグラビンは質の悪い再生の鋳鋼を各所に多用する方針で
それでも長砲身57はコストが高くって途切れながら苦労して供給していた

スターリンの122砲身も竹のように割れてる写真もみる
虎の直撃で折れたというが、砲身が破裂してしまうケースもあったのでは

T-34初期型はグラビンによると長い76ミリ砲をつけたかったが、戦車人民委員
が砲身が地面を掘り返すと懸念してかってに短砲身に切り詰めたと
(戦車委員の副代表はKV重戦車のコーチン技師で事実上は彼の意向でもあった)
グラビン回顧録で不満を漏らしてる
ただし短い76ミリ砲は低圧砲のためコストが安く、粗悪な鋳鋼品がふんだんに使え
戦時の量産には大正解であったようだ
2020/02/29(土) 00:44:50.82ID:Pzgz73wl
避けるのは砲身の欠陥ではなく、砲弾の筒内爆発
T-34の76.2mmは当初はK-11、後にF-34、砲身長が違うのではなく、全く別物
2020/02/29(土) 01:37:53.41ID:VULOpGZ9
T-34-85はクビンカのテストでキングタイガーのターレットリングを貫通する威力があった
としてるが、狙ってターレットに当たる可能性は低いしどうしてもそこは切れ目で弱点になる
リング材質は防弾ではない、というのはわかってるが
なにせパンターの数倍という高価な戦車なのになぜターレットを防弾板で囲わないのだろう?
2020/02/29(土) 01:42:04.33ID:Pzgz73wl
俗に言うポルシェ砲塔型は、ヘンシェル砲塔型と違って少し浮いてリングが見えるので、保護リングが追加されてる
2020/02/29(土) 01:47:46.81ID:VULOpGZ9
じゃーキングタイガーポルシェ砲塔が最強ですね
タミヤプラモでそこの跳弾板も再現されてるだろうか・・・
2020/02/29(土) 01:52:34.92ID:Pzgz73wl
いやそもそもヘンシェル型は後方からしかリングが見えないが
2020/02/29(土) 01:54:32.78ID:Pzgz73wl
リングというか段差ね、リングそのものは見えない
2020/02/29(土) 03:00:09.74ID:VULOpGZ9
T-34-85は大型の砲塔を採用し1600ミリのターレットに拡大された
大型砲塔はべつに85ミリ砲のために設計されたのではなく
全く別の計画からでているものを流用したらしい

となるとT-34の製造工場としては車体側のターレット変更が
大騒ぎになるわけだが、この事案にかんしては戦車人民委員の
Vマリシェフ同志の通達であっさりかたがつく

というか戦車人民委員のマリシェフさんの権限はすごい

とりあえず3人用の大型砲塔で5人乗りの戦車になったというのが
最大の肝だが、じつはこのころからソ連は兵士の数が不足していて

(スターリン同志の大粛清やドイツ軍あいての大量損失によって)
工場の女工員を徴用して操縦士にして戦争に送ったり
5人乗りにかかわらず4人もしくはひどいときは3人の乗員で戦争に
送ることが常態化した
4人のばあい前方機銃手が空席になるのだが3人の場合はよく
わからない。たぶんノンナのように砲手が戦車長座席にすわり
操縦手・装填手・戦車長が砲手に移動のコンビで戦ったと思われる

ドイツがよく人不足のジオンに例えられるがむしろソ連のほうが
末期は戦車など兵器はあまり、人の不足になやんでいた
この件に関してはスターリンおじさんがいけない
2020/02/29(土) 10:07:38.70ID:GeEaMy/a
>>437
おっ これ>419の301号車臭いな
良く見えないが車体前面のスローガンも合致しそう
よく写真みつけたね

長文連投がクソ邪魔で気付かなかったわw
452名無し三等兵
垢版 |
2020/02/29(土) 13:10:43.56ID:r3fqHY9+
IS-2の活動
戦術的に、IS-2はエリートガード大隊とともに展開され、要所に遭遇した場合は要求に
応じて行動しました。パンサーとタイガーを破壊する能力と、HEラウンドの要塞化は、
それをかけがえのないものにしました。典型的なガードタンク旅団には、それぞれ65輌
のIS-2からなる3つの連隊がいます。独立護衛部隊は、車両が少なく、補給列車が存在
していました。彼らの最初の行動は、1944年2月にウクライナのコルスンチェチェンコフスキー
で行われました。その後、1944年4月から5月にかけて、第72連隊の10個のIS-2からなる
1ユニットが従事し、41輌以上のタイガーとフェルナンドを破壊したと主張しました。
正面装甲は、ドイツの通常の射撃距離1000 m(1093ヤード)以上で88 mm(3.46インチ)
を透過しません。同じ連隊は、第18陸軍内で、第4装甲軍の一部として、スタニスラフ将軍の
枢軸が装備したロシア軍を撃退することを約束しました。

これらの戦闘の1つで、トゥルグ・フルモスの入植地近くで、IS-2が1台損傷し、後に
グデリアン将軍自身が検分し、「スターリン」はその名に値すると結論付けました。
「フィールドでの数値的優位性を圧倒することなく、スターリンとの戦いに参加しない
でください。 スターリンごとに、タイガーの小隊全体を考慮する必要があると思います。
タイガーがスターリンと一対一で戦おうとすると、貴重な戦争機械が失われるだけです。」
すぐに、IS-2の側面と周囲を取り囲み、その脆弱な側面、後部、および敏感な「ショット
トラップ」後部砲塔バスケットで、短距離でのみショットを取得するための新しい戦術
ルールが考案されました。ドイツの戦術的優位性を再び求められました。
453名無し三等兵
垢版 |
2020/02/29(土) 13:13:51.14ID:r3fqHY9+
北部セクターでは、1944年夏に東ドイツを攻撃したバグラチオン作戦中にも多くのIS-2が投入されました。
1944年8月13日、サンドミエシュ橋頭での戦闘中、ドイツ軍は真新しい重戦車を中心とした強力な反撃を開始しました。
戦いは8月31日まで続き、ロシア軍は十分に準備された要塞化された防御位置に置かれ、4輌のケーニヒスタイガーと、
3輌のパンサーと巨大なヤークトタイガーでさえも撃破しました。
後に登場したように、第71独立重戦車連隊の11輌のIS-2は合計14輌の VI号戦車からの攻撃を撃退しました。
第501重装甲連隊のBケーニヒスタイガー。戦闘はわずか656ヤード(600 m)で激怒し、3台のIS-2が破壊され、7台が損傷しました。
新しいD-25Tの装填速度はまだ約20〜30秒であり、その間、パンサーは6〜7発の砲撃を行うことができました。
さらに、弾薬はまだ使いづらく、常に不足しています。他の戦闘の名誉には、リトアニアとラトビアの解放を伴うレニングラード戦線、
バルト諸国が含まれていましたが、攻撃はタリンで不足し、そこでは第36独立警備連隊が3台の戦車を失い、
残りのすでに使い古された戦車が損害を受けました。東プロイセンの厳しくて湿った地形は、重戦車にとって不利でした。
重戦車は、十分に準備された深い防御境界線に対処しなければなりませんでした。第79連隊は10月までひどく苦しんでいましたが、
ナリュー川の戦いでは幸運でした。
2020/02/29(土) 13:17:38.27ID:r3fqHY9+
ハンガリー、特にデブレツェンでは、第78連隊も6輌以上のタイガー、30輌のパンサー、
10輌のパンツァーIV、24門のSPG、およびその過程での多くの防御陣地を破壊したと
主張しながら大きな損失を被りました。 1945年2月、第81連隊はネメリッテンの占領後、
クーケンネンの上位部隊と戦った。攻撃はひどく支援され調整されていたため、大きな損失で撃退されました。
1945年1月のヴィスワオーデルでは、第80連隊がより幸運で、19台の戦車とSPGと多くの敵陣地を破壊し、
ドイツ第9軍に深く釘付けになりました。

IS-2、ベルリン、1945
ベルリン攻略では、強力なHEラウンドのおかげで、建物全体を破壊しようとするIS-2が多数見られました。
攻撃は、7番目の独立した衛兵(104、105、106番目の戦車連隊)、11番目の重戦車旅団の334番目の連隊、
さまざまなユニットからの351番目、396番目、394番目の連隊と、1番目の衛兵タンク軍の347番目の連隊
から構成されました。 第2戦車軍、第1ベラルーシ戦線の一部、第3戦車軍の第383連隊と第384連隊
(第1ウクライナ戦線)から。 彼らは、サッパーや火炎放射器などの攻撃歩兵部隊が支援する5台のIS-2の
小さなユニットで戦術的に配置されました。 作戦は1945年5月2日まで続き、主にパンツァーファウストによって、
67台以上のIS-2が破壊されました。
2020/02/29(土) 13:31:13.24ID:GeEaMy/a
意地になって貼りに来るんだw
機械翻訳みたいで読みにくいし、流れと微妙にズレてるし
時に大ウソ混じってるし
誰がそれ喜ぶと思ってやってんの?
2020/02/29(土) 13:40:05.51ID:VULOpGZ9
ロシア語の翻訳資料かな。まぁ最後に3行ぐらい
結論を入れたほうが分かりやすいけど

なにせ日本語の本がほとんどないから海外ページで新事実やら
飼料仕入れるのはやむを得まいね
前にもでたとおりスターリン戦車に関してはザロガ先生の本それも
それもだいぶ古いのしかない。昭和50年ぐらいから止まってる状態かな

せめてカツコフ回顧録ぐらいは翻訳してみませんか、日本の出版社も
2020/02/29(土) 13:51:46.26ID:VULOpGZ9
グデーリアンがタイガーとスターリンの直接対決をさけるよう
指示したのは間違ってないが
ほとんどパンツァーファウストで歩兵にやられてるんだね

パンツァーシュレッケでうたれた傷がほんの針孔みたいで
意外だったがこれでも、撃破なんだな

興味深いことに撃破されたT-34の半分は再生され
その修理不能の基準は弾薬誘爆とターレットリングの破損らしい
炎上車両は問題なく修理した
破壊されたシャーマンの8割は再生できたという。赤軍戦車より
生存率が高いが、容積が大きいから修理しやすいのかな

イスラエルが再生品シャーマンにこだわった理由はこれだったりして
2020/02/29(土) 14:38:12.07ID:r3fqHY9+
米軍は部品が規格化されてるからじゃない
2020/02/29(土) 14:51:54.20ID:VG14uV8F
前期型シャーマンは被弾時にスポンソン上の弾薬庫内の砲弾の薬莢が破れ、撒き散らされた装薬に引火するのが炎上の大きな原因
M4A2は後期型車体でも湿式弾薬庫になっておらず、炎上しやすい欠点が是正されていない
しかし炎上した戦車は見た目使えそうでも、装甲板が焼きなまされており、より被弾に弱くなってしまっているのだが
2020/02/29(土) 15:04:51.95ID:VULOpGZ9
ディーゼルは燃えにくいとされてるけどグデーリアンの対策指示通りに後部側面を
撃たれたIS2戦車は炎上して撃破された(エンジン停止放棄のときもある)

スターリンの弱点の一つはドイツ戦車にようにガソリン区画が後部の防火壁で
仕切られておらず、せまいゆえに内部に燃料タンクがはみだしてること

とくに操縦手の隣には、燃料タンクがあり、しかも足元には酸素ボンベ2本と
乗員室に被弾した場合、操縦手が焼き殺される条件が揃ってる

朝鮮戦争でもT-34乗員の戦死理由のほとんどは炎上だったという

またとうじアメリカの航空機はナパーム弾を多用して、炎上効果範囲は70メートルと
至近弾でなくても戦車にとっては燃え上がれば致命的になる
2020/02/29(土) 16:01:28.74ID:nOYIyYlZ
>>443
短砲身のL-11はT-28の後期型にも使われていたもので、レニングラードで製造されハリコフの戦車工場に送っれていたが
ドイツ軍が迫り在庫切れと共に生産終了、以後はF-34が標準となった
しかし砲塔そのものでなく、戦車砲で強度の必要などこに鋳鋼部品が使われているんだ?具体的に
2020/02/29(土) 16:45:48.11ID:VULOpGZ9
第183工場の設計局がA-43タンクの設計を開始(これがT-34)
F-34はまだ採用されておらず試験も済んでいなかった

しかしT-34武装の候補と考えられた
第183工場所長のマクサレバ同志の要求でF-34はハリコフに送られた

人民委員会はT-34タンクに F-34を設置することを決定。
ただし、生産要件に応じて、銃身を40口径に短縮することを勧めしました
(76.2 mm口径のライフリングバレルの統一のため)

1940年12月ボルシェビキの中央委員会の会議が決定を下し、
T-34戦車のF-34銃の総生産を開始するようにNo.92工場を指示

グラビンの回顧録にしるされるとおり「スピード方式」が採用されたため
大量生産の決定が下されてから13日後に銃の生産を開始することができました。

F-34開発する際に、炭素鋼の鋳造ケーシングと鋳造クレードルが最初に使用されました。
最初の銃の特色は2層砲身を持っていることでした。
F-34は強力なだけでなく、安価でハイテクでもありました。
F-34のコストはF-32(以前はKV-1タンクに搭載されていた)よりも20%低かったため、
これはすぐ生産量の増加に反映されました。1941年3月に最初の300基を出荷した

1941年10月1日から、KV戦車にZIS-5戦車砲が採用され
ZIS-5の大量生産が開始されると、F-34の設計が変更され、大量生産が簡素化されました。
そのため、1941年11月以降、F-34砲は大幅に設計変更。2層砲身がモノブロックに交換された

1941年12月、第92工場の設計局はマチルダ戦車にZIS-5砲の設置にとりかかった
100門の大砲が積まれる計画であったがプロジェクトは中止された
2020/02/29(土) 17:42:22.15ID:nOYIyYlZ
鋳造ケーシングと鋳造クレードル、つまり駐退機カバーと砲架部分で、砲そのものじゃないいってことだろ
2020/02/29(土) 18:31:19.57ID:1BUB9Adt
砲身破裂になにか関係あるの?
2020/02/29(土) 18:55:45.81ID:gqDYrIUZ
T-43も知らんのか…
2020/02/29(土) 20:32:19.72ID:T3Dp1lAt
何故ここでT-43?
2020/03/01(日) 02:22:56.67ID:TP8vxN7z
T-34初期ピロシキ砲塔に迷彩するとしたらサンドイエロー、ダーググリーン、ブラウンでいい?
2020/03/01(日) 03:22:03.04ID:33JNHky5
誰かに見せるとか模型誌・模型屋のコンペに出すとかで無けりゃ好きなように塗ればいいだろ
自分がどうして良いかわかんないんじゃどう塗ったって一緒
史実・現物に沿ったもんに仕上げたきゃ自分で納得いくまで調べなよ
どこの誰が何書くかもわかんねぇ名無しの掲示板なんかに頼んな
2020/03/01(日) 07:06:31.39ID:KR0IdB06
>>467
camouflage T-34 でググれば塗装例が出てくるが、L-11搭載の1940年型だと正規の三色迷彩、
F-34搭載の1941年型だと二色迷彩になるようだ
(Mr.カラーの場合)二色だとC54/H80カークグリーンと、C43/H37ウッドブラウンの組み合わせ
三色だとH27/C44タンが加わる
2020/03/01(日) 17:33:51.89ID:TP8vxN7z
どうも迷彩にしても初期のソ連戦車はしょぼい貧乏くさい色なので
工場から出てきた錆止め色、レッドオキサイドのほうがいいかなぁ

今回のモデルアートは水性ホビーの筆塗り特集でタミヤ48パンター
の制作例もあったので買いました
2020/03/01(日) 19:37:33.06ID:DIc7loWJ
三色迷彩はサンド(タン)/ブラウン/グリーンで、ジャーマングレーになる前のドイツ軍とたいして変わらなくね?
https://tanks-encyclopedia.com/wp-content/uploads/2017/06/Pz-I-Kumintang-1.jpg
(中国国民党軍向けのものだが、迷彩塗装パターンはドイツ軍と同じ)
二色迷彩のグリーン/ブラウンは今の自衛隊戦車に近いような
2020/03/01(日) 19:38:33.24ID:txXdxSQs
スターリングラード工場の戦場直送のは錆止めすら塗らず工場から数百mに実戦投入してたような。
2020/03/01(日) 21:28:52.14ID:TP8vxN7z
新水性ホビーカラーの金属色は素晴らしい、筆ぬりでP51ムスタング
の総ジュラルミンが表現できる・・

T-34の無塗装のスターリングラード仕様もいけるかも・・・
2020/03/01(日) 22:48:59.49ID:1F2AR221
>>472
正に産直、
そして地産地消
2020/03/01(日) 22:55:01.16ID:DIc7loWJ
プライマーも塗ってない鋼(例えば履帯)はあっという間にサビが浮いてきます
476名無し三等兵
垢版 |
2020/03/01(日) 22:57:23.77ID:ewZkux/H
>>474
兵隊もな
逆に戦車や兵隊を海の向こうの遠くに送っている日米英の海運力もそれぞれ雲泥の差だな
アメリカだけが飛び抜けている。
2020/03/01(日) 23:36:04.51ID:cIRf9nQ+
小銃弾についてそんな話を呼んだ覚えがある

7.62o30-06スプリングフィールドを使うM1ガーランドにしろ
7.62o.30カービン弾を使うM1カービンにしろ
セミオートの銃を主力として兵士に装備させることで
単発ボルトアクションのそれと比較すれば弾薬の使用量は大幅に増大する。

大戦の初期からそれが出来たのは、セミオートライフル本体の開発や
量産の能力よりも、まず弾薬の大量生産とその輸送・補給に自信のあった
アメリカ軍ならではだ。
478名無し三等兵
垢版 |
2020/03/02(月) 00:06:31.72ID:DuyGpYLp
IS-2は、最高の第二次世界大戦の対空および対戦車兵器の1つであるドイツの
88 mm Flak 18/36/37/41の砲火に何とか耐えることができる、反ヒトラー
連合の唯一の戦車でした。他のソビエト、イギリス、またはアメリカの戦車は、
これらの銃に対する乗組員のゼロ保護を提供しました。

アルカディ・シャイケト/russiainphoto.ru
IS-2はドイツ人にとって真の頭痛の種になりました。
この強力なソビエト戦車を攻撃するために、
タイガーは800メートル以上の距離で接近しなければなりませんでした。このため、
ドイツ国防軍のコマンドは、IS-2との決闘を避けるように戦車の乗組員に命じました。

アレクサンダー・カプシアンスキー/スプートニク
「1944年に遭遇したジョセフスターリン戦車は、少なくともタイガーと同等でした。
ドイツの戦車エースのオットー・カリウスは、彼の回顧録「泥の中の虎」で、
形の面でかなり優れていました(T-34など)。

パブリックドメイン
ジョセフ・スターリン自身は、自分の「ブランド」戦車に非常に満足していました。
IS-2を調べた後、彼は「この戦車で戦争を終わらせる」と言ったと報告されています。

パブリックドメイン
IS-2は、タイガーハンターとして設計されただけではありません。
1944年に、赤軍はソビエト連邦の広大な平野を去り、
数多くの要塞化されたヨーロッパの町や都市に入りました。
2020/03/02(月) 00:23:58.36ID:3z2gzXkZ
おまえ何処国人なの?

>他のソビエト、イギリス、またはアメリカの戦車は、
>これらの銃に対する乗組員のゼロ保護を提供しました。

>ドイツの戦車エースのオットー・カリウスは、彼の回顧録「泥の中の虎」で、
>形の面でかなり優れていました(T-34など)。

こう言うのまるで日本語として意味が分からない事を
自分が理解出来てるか?わざわざ読んでやるに値しない
ヘタクソな機械翻訳そのまま貼り殴るくらいなら原語でそのまま貼れ
2020/03/02(月) 00:43:29.78ID:owN/bD4y
1943年、新型タイガー戦車のニュースがソ連のうわさになり浸透しました

架空のドイツ超重戦車に備えて作られ、放棄された107ミリ砲の期待が急激に高くなった

スターリンはグラビンに電話をかけた

グラビン「お望みなら20日間で107ミリZiS-6の生産を再開する準備ができるでしょう!」

1943年4月、新しいIS戦車がまだ試行中の間に、工場は2つの新しい重戦車のオーダーを受けた

これらの戦車はKV-1と同程度の重さで、厚い装甲(100 mm)をそなえ
85 mm高射砲(砲塔リング1700 mm)と
107 mm戦車砲(リングの直径は1850 mm)をそなえる2つの案であった

これらの銃はすでに存在していました。グラビンの自信の通り初速1012 m の
107 mm ZiS-26が製造され、工場#92で製造されましたが、
戦車への搭載設計には、新しい銃をゼロから作成するのと同じくらい時間がかかるのが判明した

2つの新しい戦車が開発されました。IS-3(85 mmガン)とIS-4(107 mmガン)。
しかし1942年以来、107 mm砲の弾薬を製造したことはなく
工場には新しい107 mm砲弾を製造するための機械がなく、そのような砲弾1つで
既存の85ミリ砲の砲弾を数発製造するのに相応する費用がかかりました。
工廠の手持ちを調べたところ107 mm弾薬の在庫は、ほとんど革命前の中古でした。

戦時でもありざんねんながら強力な107ミリ砲を持つIS-4の案は消えました
2020/03/02(月) 00:59:12.71ID:futoZFoE
>>88 mm Flak 18/36/37/41の砲火に何とか耐えることができる、反ヒトラー連合の唯一の戦車でした

FlaK41だけは後のPaK43と同じ砲弾を使う高初速砲、IS-2はなんとか耐えられるどころか一発でやられる

>>工廠の手持ちを調べたところ107 mm弾薬の在庫は、ほとんど革命前の中古でした

革命以降も1940年型107mm師団砲(M-60)が作られており、107mm砲弾の生産が終わったのは1944年の100mm師団砲の登場以降
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