>>830の続き

3月4日の南鳥島空襲(>>826)を受けて、GFは米空母による
帝都空襲を警戒して、五航戦を警戒にあたらせていた。

その後敵情を得なかったため、3月8日内地を出発、スターリング湾へ。

ところが、10日にウエーク島付近で敵空母らしき電波を傍受したとの
情報が入ったため、急遽、五航戦を呼び戻した。
続報が得られず、この無線方位測定は誤認であった公算が大きくなり、
17日になって、再び横須賀を出て、南方へ向かった。

結局、スターリング湾に到着したのは24日、
印度洋機動作戦の発動は、26日にずれこんでしまったのです。