>>956の続き

その指揮官となったクレース少将ですが、1887年生まれの
英海軍提督なので、南雲長官と同い年です。

フレッチャー少将の伝記(>>945)では
「魚雷と対潜戦術の専門家」と紹介されているので、
我が海軍で言うところの”水雷屋”でしょう。

1939年から豪州海軍の指揮官を務めており、
1942年3月のサエ・サラモア空襲でも、米空母支援のために
出撃しています。