ラバウルに関しては自給体制が整っていたので、大戦末期まで
普通な飯が食えてた模様。
末端の島が大変だったのは事実だけどさ。

手元の資料によれば、中国大陸内部ではそれほど
補給が苦しかった、とか言う話が無かった様子。
結局の所、日本の兵站はそこまでが限界だった
と言う事らしい。