XF5-1の最大推力5dという中途半端なスペックは
アメリカの警戒心を起こさせないという意図で決められたらしい
XF5-1の構想が練られた頃はFSXの日米対立から数年しか経過してない時代だったのが理由
技術的にはF404クラスのエンジン開発は可能だったらしいが意図的にそうした

だからXF5直系のエンジンの実用化は考えておらず派生型のF7エンジンのみが実用化した
当初からフルスケールのエンジンはXF5-1の次のエンジン(現XF9-1)という計画だった

80年代末にはT-2後継の高等練習機開発構想があったが防衛省・空自内で支持がなく現行体制になった
T-34の改良版であるT-5/T-7以外は練習機開発をしようという動きは80年代をもって終わった模様
その後はC-2/P-1そしてX-2実験機を経て次期戦闘機開発と重要案件開発重視が鮮明になっていった

加えて無人機の重要性も高まってきたので練習機よりは無人機開発というのが防衛省及び国内メーカーの総意になっていった
川重やスバルは次期戦闘機関連の無人機開発に強い意欲を示している