太田実 海軍中将は、開閉学校卒業で砲術・陸戦畑の人だと思っていたら、

1925年(大正14年)12月1日- 海軍砲術学校教官 兼 海軍機関学校教官
1926年(大正15年)12月1日- 任 海軍少佐
1928年(昭和3年)6月25日- 免 海軍機関学校教官 任 海軍工機学校教官

だそうです、大尉・少佐の一時期、機関学校教官や工機学校教官をしていたことになります。
教官ともなれば相当高度な知識技能が求められるでしょうが、いつの時点で機関や工機に関する
高度な教育訓練を受け、あるいは実務経験を積んだのでしょうか?