〉日本への核投下

だから、数の問題について、この論文は言及していないのですよ。

まず、マンハッタン計画で製造されたのは4発。
7月に初の原爆実験(タワーに吊るす爆発で投下しない)、
そしてこの1か月後にようやく投下実験用の完成品が2つ完成。

これがファットマンとリトルボーイ
これで3発消費

残り1発ですが、インディアナポリスで輸送中に撃沈
(これは部品だけで、実は本隊の核物質は含まれておらず、8月には予備部品が到着し投下可能にだったという説もあり)
つまり論文中に日本側が当時米国が核爆弾100発前後を備蓄していたというのは、あくまでも日本側の推測、想像というか妄想。

そしてダウンフォールまでに追加製造しても、よくて数発。
だからあくまでもオプションとしての検討だったのです。

なお、コロネット作戦についてマッカーサーが参謀に命じて準備させた参謀研究は、日本の茅ヶ崎市職員が翻訳し、市史として出版しています。
(なぜならコロネットの主攻が茅ヶ崎だったから)
(本資料を基に同一人物らが書いた新書も発売されています)
(市史の該当巻は、私が5年程前に市役所に連絡し購入した時は、まだ数冊在庫があったらしいので、今ならまだ買えるんじゃね)