543471]名無しさんさん
彌助のその後がどうなったのかは謎に包まれているそうですが、

じつは弥助と繋がりそうな記録がいくつかあるそうです。
本能寺の変の2年後、1584年に長崎で起きた戦「沖田畷(おきたなわて)の戦い」の記述には、黒人が出てきます。
(尚古集成館蔵)

沖田畷の戦いは、キリシタン大名の有馬晴信と龍造寺隆信が争った戦で、「有馬側には2門の半筒砲があったがその場に砲手がいなかった。
そのとき一人のアフリカの黒人(カフル人)が現れて大砲を使いこなし、敵を粉砕して有馬家に勝利をもたらした」(完訳フロイス日本史)のだそうです。

<p>西洋人の従者として航海し、鉄砲隊でも有名な織田軍で戦った彌助なら、銃火器の扱いができたとしても全く不思議なことではないでしょう。
<p>宣教師ヴァリニャーノは信長の元を訪れる前に有馬家を訪ねていました。弥助とは面識のあったキリシタン
2019/02/1105:51