イギリス軍が1936年から大戦末期までの間ずっと
戦車を巡航戦車と歩兵戦車の2つに分類して開発を続けた事に対して
イギリス軍戦車将校や同国内の軍事研究家は後年にどう評価しているのでしょう?
「あの思想は失敗で諸外国のような走攻守が中庸な中戦車を作っておくべきだった」と反省しているのか
あるいは「賢明な判断だった」「狙い通り役に立った」と考えているのか
なんとなくイギリス人は当時の自国戦車への評価が低いようなイメージがありますが