空母 赤城の最後ですが、

6月6日午前2時、第四駆逐隊各艦(航行順は嵐、野分、萩風、舞風)は赤城の右舷に対し各1本を発射した[
172][176]。4本の魚雷のうち2ないし3本が命中[177]。1942年(昭和17年)6月6日午前2時10分、北緯30度30分、
西経178度40分の地点で、赤城は艦尾から沈んでいった[144][178]

だそうです。

4隻の駆逐艦から1発ずつの魚雷発射がなされたのはなぜでしょうか?
1隻の駆逐艦から必殺の間合いで4発の魚雷が発射されなかったのは?

ミッドウェー海戦で水雷戦が行われていないようなので、各艦魚雷は全弾あったはず。

(まあ、いずれにせよ、当該駆逐艦乗員、特に魚雷員の心情を思うにただただ打ちのめされるものがありますが。)