>>319の言う妥当性ってのが完全に活動家の言う文脈でのそれ
技術的な意味での妥当性を論ずるものに対して反論とするには、そもそも論点が合ってない
そしてそれを公論化、つまり有権者のコンセンサスを得るどころか国民的議論の俎上にかけることもせずに、目先のブースター問題という
謂わば「官僚退治をする閣僚」という構図に飛び付く形で、しかも拙速な形での決断をした当時の大臣の判断の不適切さが問われている

従ってこれは政治的困難さやそれによる行き詰まりの話でもなく、ひとえに政治的瑕疵と技術的合理性の二点が問われているのであり、
地元の反対だの官僚の不手際だのといった事は決定的な理由にもなり得ない課題であるのに、その解決には一切注力しないどころか、
むしろ課題解決を放棄して政治vs官僚という対立構造を演出する事に"豪腕"を振るった、その"行革しぐさ"が果たして閣僚として適切だったのか
政治的に糺されるべき問題があったとすればそこのはず

何度も書くが地元に反対が根強い事や選定にかかる不作為は何ら決定的な要因にはならないし、それによってアショア導入の技術的な意義(妥当性)が揺るがされるものでもない