>>676
もともとの捷号計画ではなし得るのであれば三航戦と四航戦を再建し機動部隊本隊と第一遊撃部隊(以下1YB)が合同することが予定されていたから
その上で機動部隊の航空支援(敵空母への攻撃と直掩)のもと1YBを突っ込ませるつもりだった
その場合は機動部隊本隊の指揮官たる小沢中将が指揮をそるほうが適切なので(これなら編成当初の1Kdfの考え方と同じだしね)豊田大将は統一指揮を依頼してた
だから小沢中将の意見具申のあともそれならせめて再建が概成した三航戦だけでもリンガに進出して統一指揮をしてくれないかと要請されてる
また第一機動艦隊参謀長9月28日1845発電により第二艦隊にあてて10月には進出予定と通報してるので一応豊田大将の要請は受け入れられてる
ただ爾後の台湾沖航空戦の結果この問題は小沢中将の意見具申が形式上は通る形で自然消滅したので変な感じに見えるだけ