>>777
主に日本の城を念頭に聞いてるみたいだから、そうした日本の城について答えるが、近世の城は敵を寄せ付けない事に主眼が置かれたが、中世はそうでもない。
城は防御用だけでなく、敵を効率的に殺すための罠でもあって、例えは土で築山を築いたら、上には柵しか無いような土の城だって存在していた。

関東・甲信越に多かったんだけど、これは柵の間から長槍を通して敵を有利な位置から攻撃するための設備で、築山の高さやも、それに見合った程度のものしかない。
或いは門の中は凹んだ広場ーー武者隠しになっていて、普段は出撃の際に兵を揃える為に使うが、その周りが上記のような構造のキルゾーンって事もある。

柵だけだと防御に難があると思うだろうが、必要に応じて掻盾を並べることで、投石や弓矢、長槍などを防ぐようにしていた訳だ。
場合によっては無数の小さな曲輪を築いて、通路は堀切になってるような城もある。中へ進むには、この迷路のようなキルゾーンを進まねばならない。

ただ、鉄砲が普及するにつれて、戦いは互いに距離を置いたものが増えていき、また大軍を動かす兵站が整備されると、そうした地形効果を利用した城も減っていく。
なにも無理攻めで被害を大きくしなくても、野戦築城で仕寄を作ってジリジリ進めば済むし、何なら敵が音を上げるまで包囲を続けても良い訳だから。

こうなってくると、守る側も鉄砲を使うから、幅の広い堀としっかりした土塀を築いて、敵を寄せ付けず身を守った有利な状況から狙撃できるような城が主流になる。
それでも複雑な曲輪と隠れた虎口から出撃し、敵を側面から逆撃したり、キルゾーンに仕立てた武者隠しを、柵ではなく土塀で作ったりして対処した。

攻城兵器の遅れた日本では、城とは単に堅牢な要塞というだけではなく、効率的に敵を殺せるための、トラップとしても使っていた訳だ。