>>101
介錯してくれるケースも皆無ではなかっただろうけど たいていは死ぬに任された

日本軍では建前上は 傷病兵はなるべく前線の野戦病院で回復・原隊復帰させ、
それが難しい場合には兵站病院 さらに特殊な治療が必要な場合は陸軍病院に送られるシステムになっていた
全身麻痺なら陸軍病院送り確定だろう 
普通なら
でも日本軍は兵站が弱くて第一線の戦闘部隊にさえ物資輸送が滞りがちだったので 戦局が不利になってくると野戦病院なんて後回しにされた
結果 野戦病院には食事も薬も無く 麻酔なしで手術したり キニーネその他の薬の供給が激減して病兵は食塩水不足のため代わりにココナツミルクを注射せざるを得ないような状況になった
野外の泥の中に患者は放置され 病人は特に夜間には壕内の便所へ行くのをいやがったため 排泄物が敷物のすぐ近くに積み重ねられ 雨が降ると差し掛け屋根の壕のすぐ近くまで流れてきた
常に包帯に雨が染みこみ マラリア・脚気・腸炎のような悪疫が流行したため 傷兵の死亡率は80%を超えたと推測されている

そのような悲惨な状況の中で ぶっちゃけ回復して戦力になる見込みの少ない全身麻痺の兵士が 適切な医療を受けさせてくれたか甚だ疑問
見殺しに近かったろう
撤退戦の中で置き去りにされて米軍に捕えられたほうが まだしも助かるチャンスがあったんじゃないかな?

下記、ウィキペディアの野外病院を参照ください
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%A4%96%E7%97%85%E9%99%A2#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E9%87%8E%E5%A4%96%E7%97%85%E9%99%A2
あとこっちとこっちも
http://jnapcdc.com/LA/kawahara/index.html
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/44638?page=3