日本海軍の海軍航空隊には空母航空隊と基地航空隊があったわけですが
海軍の航空戦指揮官はこの性質の違う2種類の航空隊を両方指揮できて当たり前だったんでしょうか?
例えば山本五十六は両方において作戦指揮を行なっていましたが
ずっと空母航空一筋で基地航空の勝手をよく知らなかったり
その逆に基地航空だけ極め空母作戦はサッパリな指揮官はいたんでしょうか?
また、この2つの間に予算の取り合いのような諍いはありましたか?