つまり日清日露戦争時代の火器(28榴とか27加とか)で装備された旧要塞砲台は
第一次大戦〜軍縮条約期の進歩した艦艇には対抗困難になってしまっていたという認識がまずあります。

 続いてこれらに対抗可能な火砲や観測機器として大口径の砲塔砲台や八八式海岸射撃具の整備が10年かけて進んだ頃には、
航空機の時代となってしまったという文面ですね。
 またここには触れられていませんが、大口径砲の整備を途中で止めて要塞への15加の整備が進められたのは対潜任務を重視してのことでしたから、
潜水艦の発達も航空機のそれと並んで要塞砲台の役割を失わせつつあったという理解が要塞を整備する側にあったことがわかります。