「日本築城史」にも>>11-12と似たような記述がありますね。

「しかし第1次大戦後は、感染の防御力、速力、備砲の威力とも急増し、
要塞整理に伴う大口径の砲塔砲台と、30センチ榴弾砲砲台のみが、これに対抗することが出来た。
 これら威力ある火砲の設備の無い多くの砲台は、駆逐艦以下の小艦艇に対してのみ、
火砲の威力を発揮し得るに過ぎないようににった。また大口径の砲塔砲台でも、
が機動部隊を随伴し、爆撃を敢行すれば、これに対しては、高射砲が少なく、
上空に対してはほとんど無防御であったから、戦機に投じて、敵艦と交戦することが容易でなかったように思われる。
しかし太平洋戦争においては、有力な敵海上部隊は、大口径砲台の威力を恐れて、要塞前に出現しなかった。」