では今回の『ドイツ戦艦史』を引き合いに出してみよう。

- 艦隊側からは「政治により造られた」と揶揄されたドイッチュラントDeutschland以下
3隻の装甲艦は、「戦艦に砲力で、巡洋艦に速力で劣る」として、就役前からその評判は
散々だった。しかし政治上の意向もあり、就役後は「戦艦が捕捉できない高速力と、
巡洋艦を圧倒できる火力と防御力を持つ艦」として大いに喧伝された。(p.132)

『MGFA/DZ Marinearchiv 7130 a 4』のp.179からp.185("Chef ML, B. Nr. A II 376/27. g.Kds.,
Berlin d. 11.6.27, Entwurf) の記述をPeter Lienauという研究者が
英訳している。ドイツ語版のオリジナルも昔はネットに転がってたんだが、今はない。
該当部分はドイツ海軍統帥部長官、ハンス・ツェンカーが北海とバルト海の根拠地司令に宛てた
手紙だ。

そこには将来の装甲艦に期待するべき要目として

1. being of definite superior combat power compared to 10,000-t-Washington-Cruisers
2. being able to back up our under-gunned 5.9"-cruisers
3. being capable of performing independend offensive actions
4. being able to withdraw from unplanned confrontations with superior forces
5. being able of serious beating against superior opponents in case of, for example sudden night sorties

(ttps://wesworld.jk-clan.de/index.php?page=Thread&threadID=1857)

とある。つまり条約型重巡に戦力で勝り、優越する相手からは退避できることが当初から指向されている。
しかも統帥部そして北海・バルト海両根拠地におけるトップが協議した上でだ。
なのにどうして大塚は、何を根拠に「装甲艦の評判が艦隊側から悪かった」、「巡洋艦より強く戦艦より速いというのは
後の喧伝だ」と主張するんだ。喧伝どころかg.Kds.(軍事機密)だぞ。