一斉射撃にしろ交互射撃にしろ、一元管制下での射撃は、方位盤で全砲の引金を引く統一射撃ができてからの話だよね
イギリス戦艦で方位盤が戦艦に普及したのが1916年のジュットランド海戦ころ
ドイツはもう少し早かったらしいが

なので弩級艦の時代は、射撃指揮所から各砲塔に距離方位の伝達はあったにしろ、発射タイミングは砲側でバラバラだったはず

日本海軍が昭和12年ごろまで全門斉射できなかったのは、砲身複座に水圧を取られたせい
各国は弩級艦時代から砲塔動力に水圧や電動といろいろ、複座に空気圧も使っていた国もあったので、バラバラ各個射撃をするなかで一斉射撃になったタイミングもあったのではないかと思う