支那事変の戦訓から、昭和14年の部隊からの意見として
艦爆の小隊は2機1組(機同士の間隔百数十メートル)
敵戦闘機に対して防御的な空戦可能なようにすべし

この2機1組の編隊はあ号作戦で採用された爆戦の戦法そのものだが、5年間誰も真面目に読む人いなかったんだね

陸攻が航空撃滅戦に使えない、艦爆は砲火にやららる、誘導機つければ単座機も攻撃的運用が可能、7.7ミリでは小型機にも威力不足
こうした戦訓を昭和12年と他の列強より何年も早く得ていたのに
昭和17年から昭和19年にまた全く同じ問題が発生してる学習能力の無さ

国府軍相手ですら問題になることが、遥かに強大な米英と戦争して困らないわけがない
対米戦までの数年間にできることは山ほどあったのにね