>>525
基本的に、戦国時代日本の『備』は、20程度で槍と弓矢、鉄砲が有機的に融合された編成で、古代ギリシャのファランクスやローマのレギオンとは異なる。
そして鉄砲だが、当時は鉛も火薬(に使う硝石)も輸入品が多くて効果なので、そうおいそれと乱射は出来なかった。弓矢の矢でさえそこそこのお値段。

したがって、概ねとしては両翼へ飛び道具を配置し、中央に槍足軽って配備にはなるが、その両翼にだって槍持ちは居るし、中央にも弓矢と鉄砲がいる。
そもそも薩摩藩なんて、関ヶ原の頃には槍足軽の一人一人が腰差し筒といって、短く口径の小さな鉄砲を持ってたぐらいで混雑している。
なので必要に応じて両翼どころか中央からも弓・鉄砲を放つことがあるし、逆に槍の激突前に斉射して敵を怯ませ数を減らすなんて贅沢はそうそう出来なかった。

全般的に幕末までの日本の戦は、中国や欧米のように合理的な編成でも運用でもなかったが、戦国ごろは大名まで叩き上げが多くて、実戦経験でもって指揮をとっていた。
(逆に今川義元の様に、個人としては腕が立ち、教養があって国営には優れていても、実戦経験が少なく指揮では弱かった大名なんても居る)