ただ、生きるための殺しの責すら引き受けさせないのかと思うと、馬鹿にされた気がしてくる。
かいじ神は「(かいじ的)戦後日本人」を心の奥では馬鹿にしてるんじゃなかろうか。

一方の殺しをする「日本人」に良い感情などなく、描写することすら出来ないほどの嫌悪感なり
憎悪などを抱いているのではないかと勝手に思っている。