>>167
大阪冬の陣では、オランダから最新の大砲を輸入してそれを扱うオランダ人技師まで雇って
淀君のいる本丸?を砲撃したと、NHKの特番「大戦国史」でやっていた
大阪夏の陣で砲撃しなかったのはさすがにそこは大阪方が砲撃拠点を守ったからか?
では、そのあと幕府も他の大名もオランダの大砲を購入したのか?
島原の乱でオランダ船に砲撃を頼んでいることからして
日本国内に攻城用の大砲を準備しているところは無かったと思われる
そのあとも砲撃によるチカラ攻めではなく兵糧攻めに切り替えていることからして
また大老の到着前にあせって攻め込んだ徳川の大将が討ち死にしていることからもして
日本国内に大砲を準備している大名などは無かったと推察できる
ということは、日本国内で大砲に備えた城づくりをしている大名もまたいなかったのではないかと推察できる
で、日本史のなかで次に大砲が登場するのは、なんと「大塩平八郎の乱」である?!
いや、ほかに先例があるなら是非とも訂正してほしいが・・・
実際、ほとんど有効に大砲を使いこなせなかったようだが、
にしても一介の小役人にすぎないはずの大塩平八郎が一体どこから大砲を手に入れたのか?!
その次が、水戸の裂肛ひどいな変換、水戸の烈公が幕末のペリー来航に対抗して大砲を用意していたが
これもどこから手に入れた?
そういえば、薩英戦争のとき薩摩も大砲を所有していたが、イギリス軍艦の射程に全く勝てなかった、これも(略)
結局、最新鋭?の大砲の自作に成功した鍋島藩が戊辰戦争でずっと無双かましたわけだが
(閑話 : 征韓論で負けて佐賀の乱を起こして負けて佐賀県自体がなくなって
ゾンビランドサガでやったように佐賀県復活運動にいたる : 閑話休題)
つまり、少なくとも戊辰戦争で鍋島藩が活躍した戦地においては大砲への備えはまるで無かったことになるのではなかろうか