>>489
>>493に補足すると、「講和を持ちかけるつもり」というより、まだ中立国だったソ連に取りもってもらって講和しようとはしてたが、はぐらかされてた。

だけどソ連参戦で全ての希望が潰えたのと、連合国としても講和を急がなきゃ、関係が悪化しつつあったソ連にいろいろかっさらわれる事情が生じたもんで、
ポツダム宣言を条件付き(国体護持=天皇制存続)で受諾と。