日本軍は1945年3月にインドシナのヴィシーフランス側の中立的な立場の将官を罠としてパーティーに招いて
その場で捕虜にして少将を含めた幹部300人を即座に処刑しその後フランス軍要塞を攻撃してる
むしろ追い込まれるほど彼らにはそういう配慮は無くなっていったと考えられる