今週の大河の前に本編ではあんまり触れられないんじゃないかなってお話を一つ


この頃行われた有名な改革と言えば版籍奉還・廃藩置県に続く
「政府の所得を増やすためにまず士族に、その後百姓に死んでいただこう」プロジェクトの第三弾となる地租改正である。

そもそもは留守政府が政府を回していた頃に陸奥宗光が神田孝平の著した「田租改革建議」をパク…少しいじって上伸した事に端を発するのだが、
この田租改革建議、内容はざっくり言うと入札による土地の自由売買を認め、その入札額を地価としてそこから徴税するという大変先進的な内容である。

しかしその大変先進的な内容なのが災いしてこの陸奥案は認められなかった。
「江戸時代から明治になったばかりの日本に土地の自由市場の形成とそれが適切に運営されているかの監視が可能なのか」
という現実を見ていなかった陸奥案は猛烈な批判を受けたのである。

という訳で陸奥案は退けられるのだが奴の現実見てない理想論はともかくこの地価を課税基準にするというのは使えるぞ!という話になり、
ここから更に現実的な方向にブラッシュアップしようとなり大蔵省に勤めていた一人の人物が登用される事になる。

大久保によって中央に推挙されるも、当の大久保に「同郷の人間抜擢して藩閥政治だってみんなに思われると恥ずかしいし…」という謎の理屈をこねられ、
出世どころか降格されて大蔵省に回されて以後地味な実務ばっかりやっていた、
病弱だった幼少期に疱瘡を患って死の淵を彷徨い、回復してからは病気一つしない頑強な身体となり若くして日置流弓術と示現流の免許皆伝を得た元薩摩藩士、
その名を「幕末明治のサイヤ人」松方正義といった。

続きは大河の後で。