漸減邀撃作戦の作戦計画における空母の役割について、アニオタwikiに
>当初の漸減作戦において期待されていた役割は艦載機自身による爆撃・雷撃ではなく、偵察・触接・観測といった水雷戦隊と戦艦のサポートであった。
>1930年代前半までは技術的限界から航続距離も短く、空母は「遥か後方から艦載機を飛ばして長距離攻撃を行う主力艦」などではなく、
>巡洋艦と共に積極的に前進し、出会った敵の偵察艦隊と砲戦になったりしつつも敵位置を通報する、という偵察巡洋艦の延長にある存在であった。
>赤城・加賀やレキシントン級といった初期の空母が巡洋艦の主砲並みの砲を持っていたのも、砲戦になりかねない距離まで前進するからである。
と書いてあるのですが
偵察による補助云々は艦載機の性能が低い1930年代前半までの役割であって
漸減邀撃作戦は対米作戦が真珠湾攻撃で決まる直前までは放棄されずに生きていたので
艦載機の性能が飛躍的に向上した後も少なくとも5年以上に渡って作戦と空母が共存していましたよね
この期間も作戦計画は兵器の進歩に合わせて適宜修正され続けたと思うのですが
空母の位置付けは昔の偵察補助からどのように変化したのでしょうか?
艦攻・艦爆の性能が飛躍的に上がって敵艦の撃沈破も十分可能になったので偵察戦力から攻撃用戦力に変わったと思いますが
潜水艦→陸攻→水雷戦隊夜襲→戦艦の4つのどこかの段階の攻撃に加わるのでしょうか