>>431の続き

この鳳翔乗組みとなった経緯ですが、

当時は空母は鳳翔のみで、(赤城の竣工は昭和2年)
母艦搭乗員は職人気質が多く、特別な才能を持った人間でなければ、
母艦機乗りにはなれないという風潮があった。

そこで三和中尉(当時)の上官だった霞空副長山本五十六大佐が