著書の発行間隔からすると柘植が外人部隊に在籍していたのは1975年または1976年からの5年間ではないかと推測される。
実際、1977年10月に(株)ジェミニから発行されたコイン本は平木悠支単独の名義であり、柘植本人が動けなかったのではないかと推測させる。

柘植はかつて存在したリッカーミシンの創業者平木信二の息子で、リッカーミシン在籍中に他の親族と紛争があっため(株)ジェミニを創業したという経緯もある。
コインエキスパート経営に携わる元自衛官吉岡美栄は実娘。
共著者の平木悠支は弟。

リッカーミシン創業者平木信二が1970年に亡くなり、多角経営に乗り出した二代目社長がホテル経営失敗から会社を潰す。
平木信二は実業団スポーツだけでなく浮世絵収集家としても知られ、梶山季之や辺見じゅんが伝記を書く人物であったが、
信二の死後あとを継いだ平木証三は各地にホテルリッチを建て多角経営を図るも上手くいかず本業を圧迫、資金繰りに困った挙げ句、リクルート江副や許永中の株空売りで倒産。
粉飾決済で4人の逮捕者を出し、ダイエーの傘下に入る。