>>887
都市恐怖爆撃の威力を喧伝したのは1920年代イタリアのドゥーエ
彼の祖国は国民の中央政府への愛国心が弱い上に一次大戦後しばらく極右極左が暴れ回る政情不安が続き
そんな状況で大都市に恐怖爆撃を喰らったら暴動・革命が起きて政権が倒されると考えたのも無理は無い
先の大戦のロシア(帝国・臨時政府)は軍事的にはまだ戦えたのに国民の厭戦感情を革命家につけ込まれて敗戦した
この厭戦煽りを陸戦よりスマートかつ直接的に実行するのが恐怖爆撃

つまり当時のロシアやイタリアあるいはワイマール共和制や第三共和制フランスのような
国民の政治的分断が深まっていて政権が不人気な「政治的に弱い」国にはそのままなら恐怖爆撃は効く
ただし二次大戦までには極右極左の弾圧やプロパガンダによる国民の精心的動員が進んでいた
1920年代の一時的な社会情勢に最適化して作られた恐怖爆撃という理論は
1940年代には社会の変化に対応しきれず戦略として型落ちしていたという事