冷戦中期以降のソ連の欧州侵略は、基本、NATOの海軍力の影響を受けにくい内陸で、
主作戦(deceive operation)としてソ連軍がライン川、西ドイツ首都ボン、さらにフランスのパリを目指して攻勢作戦を行う。

この側面をカバーする支作戦(shaping operation)として、北はオランダ、デンマークを対象に東ドイツ軍とポーランド
軍、
南はドイツ南部を対象にチェコスロバキア軍が侵攻します。

一方、NATO側は中央を西ドイツ軍が固め、北はイギリス軍とオランダ、ベルギー、デンマーク、南をアメリカ軍が固めます。

となると、アメリカのかなり巨大な機甲戦力による「エアランドバトル」の反撃を浴びるのは、ワルシャワ条約機構軍の南をカバーするチェコ軍ということになる。
そして、ソ連はともかく、チェコ自身の分析としては「アメリカのエアランドバトルにより、チェコ軍は壊滅するだろう・・・・」と悲しい予測を立てていました。
だから、チェコの要望としては「戦術核を下さい」と。核兵器使わないと、到底、アメリカの機甲戦力は止められない。

だが、ソ連は渡さなかった。
アメリカのdeep operation、チェコを蹂躙してエルベ川まで貫通させることを公言してるのにソ連は何もしない。
ふざけんな、と。

因果関係は難しいですが、ソ連崩壊に至る東独の共産党の崩壊は、チェコからはじまった。
ベルリンの壁よりも先にチェコで。

「またもや欧州の歴史は、ボヘミア(チェコ)で始まった」