「NHK大河ドラマではやはり描きづらい」20人の婚外子をもうけた渋沢栄一の”婦人ぐるい” (プレジデントオンライン 12/26)

NHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一は、どんな人物だったのか。
歴史評論家の香原斗志さんは「500もの企業、600もの事業の設立や育成に関わった大人物だった。
ただ、妻以外の女性たちとの『婦人ぐるい』もかなりのものだった」という――。
(中略)
大河ドラマで唯一、栄一の女癖がハッキリと描かれていたのは、「大内くに」についてだ。
ドラマでは、栄一は宮中女官の女中だったというこの女性と、大阪に出張した際に出会っていたが、出会いについてたしかなことはわかっていない。

ともかく、次女の琴子が生まれた明治3(1870)年ごろ栄一と関係をもった「くに」は、明治4年に「ふみ」、6年には「てる」と、2人の娘を産んでいる。
しかも妻の千代の許しを得て、神田北神保町の屋敷で、妻妾同居の生活を始めてしまったのである。
(中略)
佐野眞一『渋沢家三代』(文春新書)にはこんな逸話が記されている。
第一銀行頭取などを務めた長谷川重三郎が栄一の息子であることは、「関係者の間でよく知られ」、明治41(1908)年生まれの長谷川は、栄一が
68歳のときの子になるという。 それに触れられると、栄一は「『いや、お恥ずかしい。若気のいたりで、つい……』といって、禿げ頭をかいたという」。
昔からこの長谷川が、本郷真砂町の妾の子だと噂されてきたという。
(中略)
「英雄色を好む」を地で行った栄一だが、その周囲にも色を好んだ男が多かった。 伊藤博文の女遊びは栄一の比ではなかったと伝わるし、栄一が
若い日々に仕え、生涯敬慕した徳川慶喜は10男11女をもうけ、ほとんどが側室から生まれている。

では、栄一は何人の子をもうけたのか。定かではないが、少なくとも20人程度はいたといわれる。(佐野真一『渋沢家三代』など)(後略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/96ef05d1c144fd5666bafda8f36ec38df8a42768?page=1

前スレのコレだが栄一は自分ですら正確に把握できていそうにない大勢の私生児らを、男児は山ほどある系列企業に押し込み、女児は政略結婚の
カードとして積極的に活用したんだろうなぁ。 そりゃ嫡子たる長男もグレる。