サンクトペテルブルグが首都だった時代のロシア地図はこれ。1914年の時点では英国と手打ちしてるが、19世紀を通じて仮想敵国同士だ。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e6/Russian_Empire_%281914%29.svg/1011px-Russian_Empire_%281914%29.svg.png

見ての通り両岸を完全に固めてある。固定要塞と艦砲で撃ち合ったら艦隊側の完敗が常識だった時代としては、突っ込ませることは考えられない。
革命でロシア帝国が解体し、バルト三国とフィンランドが分離していきなり無防備にはなったがそれまでの経済発展の慣性は変わらないし、
スターリンとしては秘密議定書でバルト三国を回収(成功)して、フィンランド、特にハンコ岬進駐(戦中は失敗。フィンランド軍としては認めるべきって意見もあったんだけど)して両岸を固め直そうとした。
戦後はバルト三国再併合には成功し、ハンコ岬にもスターリン死後までは進駐している。