>>30
昭和期に入ると、あれ?駆逐艦が大型化の傾向だし、将来的にはさらに大きくなるだろうから
14センチ砲だと威力不足になるんじゃね?という認識になった。

だから大和での副砲初期要求は片舷6門以上20センチ砲、もしくは同8門以上の15センチ砲となり、
阿賀野型で15センチ砲に戻ったのも同じ理由。

結果的に14センチ砲採用は重量や取扱い面で一時的な恩恵があったものの、有効性という点では
短命に終わった。