>>357
宇垣 纏が第一戦隊司令時代に個人的戦時日誌「戦藻録」内で記録しているところによれば
昭和19年6月3日付けでは一斉撃ち方時の散布界の大きさを問題視してる。
8月2日には
「主砲の散布界は交互射撃において著しく縮小。一斉射撃に於いて700米余、武蔵は以前より改善を見ず」
と記されてるので、大和型戦艦も他艦と同様、射撃訓練では一斉打ち方と交互撃ち方、両方やってた
事になる。

ご存じの通り「一斉撃ち方」は昭和13年以降、全門での斉射を意味するものとなってる。念のため。
昭和15年に完成した0.08〜0.2秒まで調定可能な46センチ3連装砲塔用の発砲遅延装置のおかげかどうかは不明。

他には設計主任の福田啓二、方位盤射手、砲術長らからも全門斉射の証言がある。



>>358
ネット界隈では悪意がなくても、それが真実だと思い込んじゃってる人が一定数いる。
ユーチューブのコメント欄でもそういうこと言う人がいる。
「世界の艦船「」誌の書評の影響も大きかったと思う。