FAR日本版に掲載のエッセーによると
2008年4月のブカレストNATO首脳会議に
ゲストとして招かれたプーチンが
当時の子ブッシュ米大統領に
「ウクライナという国が存在すると思わないほうがいい。
ありゃ我われの領土だ」と、意見交換の場で伝えたという

ゼレンスキーはロシアとの対話路線を掲げて権力を手にしながら
その後ロシア寄りのテレビ局を閉鎖し富豪を軟禁するなど
急激にユーロアトランティック路線へ舵を切った
西側はロシアの侵攻に最後まで懐疑的だったフシがあるが
完全な読み違えがあったのかもしれない