>>533
その硫黄島ですが、44年2月の空母機は別として、8月から開始された準備砲爆撃で12/8からB24による74日連続爆撃880機以上江5,793t、
空母が2/1までに339t、艦砲射撃は5回に分け9千発を消費しましたが、事前砲爆撃では砲台をなかなか破壊できませんでした。
日本軍の砲台が撃ち始めてようやく位置がわかって潰せたのです。それも距離数千ydとかの近距離で。

硫黄島の水平砲台は8cm高角砲や短12cm砲まで含めて28門ですが、そのすべてが米艦隊を撃ったわけではないにもかかわらず、
2/17テネシーが被弾1発、ペンサコラが6発、駆逐艦が1発、砲艇1隻沈没(14発被弾)、2隻航行不能、大規模損傷5隻の損害を出し戦艦部隊の反撃も日本軍の砲台3門と高角砲3門を破壊したに過ぎませんでした。
特記しなくてはならないのが、これら臨時の砲台は本格的な要塞砲と違い武式程度の簡単な射撃指揮装備しかなかったことです。

これに懲りた米軍は更に戦艦を3隻から4隻へ増勢し(その他巡洋艦以下も参加)、翌2/18に2千5百ydまで接近してテネシーだけで333発、
アイダホも280発を撃ちようやく摺鉢山付近の砲台を破壊乃至使用不能にすることができました。
位置が判明した砲台ですらこの近距離に迫らないとなかなか根絶できないことがわかります。