ホントにソ連ってデカい北朝鮮なんだな

今月の日本記者クラブ会報に小林和男さんが「ゴルバチョフにかかされた冷や汗」という話を書かれている。(略)

賃金は1日20ルーブルだが、仕事がない日は3ルーブルに減る。そこで運転手は身銭をきって燃料油を買ってくる。
こうして割当てを受けた燃料油が不十分でも、工事目標は達成される。
だが問題は、社会主義のソ連では、燃料油といえども金さえ出せば買えるというものではない、ということだ。
横流しされた油をヤミ市場で買ってくるのだから違法である。
もちろん、現場としては、燃料油の割当てが足りないのに100%のノルマ達成を命令されるので、仕方なくやっていることだ。
そもそも燃料油を十分に割当てない方が問題だし、工事現場ならどこも似たようなことをしている、と言いたいところだが、そんな抗弁が許される社会ではない。
技師は党籍をはく奪されたうえに職も失ったのである。

  荒廃は静かに広がっていた。穀物の収穫期には都会の勤労者が動員される。
ベルゾンが勤めていた研究所の仲間と刈り入れの手伝いに行った時のことだ。
集団農場の宿泊施設に暖房がないので文句を言うと、その農場の第一書記は「おれに、どうしろと言うんだ」と不貞腐れた。
そして、「今日だって小麦の刈り入れをしたコンバインの運転手が2人もコンバインごといなくなった。
きっと近くの町に小麦を持って行って売り飛ばし、その金でウォツカを買うのさ。あいつらは何日か戻ってこない。
戻ってきたって、おれは辞めさせることもできない」とボヤクのである。
ソ連の農村は貧しかった。でこぼこ道に沿ってあばら家が並んでいるだけの貧相な村をいくつも見た。
もっとも、私がいた頃は、モスクワとレニングラードを結ぶ幹線道路さえ舗装されていなかった。車の修理のため陸路ヘルシンキに行ったとき、
国境を越えてフィンランドに入ったとたんに、手入れの行き届いた畑が広がり、道路も住宅もピカピカになった。あまりの落差に驚いたものである。

取材余話とはいえない話になってしまったが、お許しいただきたい。
私にとって、モスクワ時代は懐かしくもあり、ほろ苦くもある思い出である。(朝日新聞出身 2009年12月記)
https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/11907