皇族の子弟は原則として陸士や海兵には無試験で首席入学、首席卒業
南雲と同期の海兵36期には有栖川宮栽仁王が皇族枠でいたが卒業間近の1908年3月に病死
例の伏見宮博恭王はドイツ海軍大学校卒で海兵卒ではないが海兵18期相当扱い