艦爆搭乗員だった豊田中尉によると対戦闘機空戦訓練は受けていた。
当時の状況から積極的に戦闘機として運用は困難だが無抵抗でやられる
よりはマシという考えかと。

まあ18年の二月十四日のブーゲンビル上空での迎撃戦では零式観測機も動員
してたから海軍は戦闘機として勘定はしていた模様。