>>852の続き

過去スレでも検証しましたが、
いつも紹介しているフレッチャー少将の伝記(洋書)では、
3日午後に日本輸送船団を攻撃したB-17の報告に「空母1隻」が含まれており、
3日夜に船団を雷撃したPBYの乗員が「空母がいた」との証言もあります。

もともと、アメリカ側は日本海軍が空母を分割すると考えており、
主力が北西から接近し、別動隊が西方で攻略部隊と合同する。

そのため、輸送船団が発見される3日前の5月31日に
B-17を西方700浬の日本軍会合点に向けて出撃させています。
当然空振りに終わりましたが