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トミ・アホネン氏によるキエフ攻防戦の分析スレッド。
ロシア軍が4時間でキエフを占領するプランに失敗し、3日でキエフを包囲するプランBに変更し、それにも失敗していく過程が書かれている。
プランBが成功していたらキエフは瓦礫の山になるところだった。

ロシア軍の目的は、ハンガリー動乱やプラハの春のように、ロシアの戦車が首都に侵入して勝利を宣言し、政治的にウクライナを支配する事だった。
初日はその足がかりとしてオストメル空港を占拠しようとした。
30機の輸送ヘリと攻撃ヘリの編隊がオストメル空港を強襲して一旦占拠に成功した。

第11または第35親衛空挺強襲旅団と思われる1000人の部隊が投入され、空港の制圧に成功。
後続部隊7000人がイリューシン76輸送機で空港に着陸しようとしたが、二機が撃墜され着陸は中止。
ベラルーシに引き返した。

空港を占領していたロシア空挺部隊1000人はウクライナ軍の反撃にあって追い払われてしまったため、
ヘリ200機を使って5000人の部隊が空輸され、再びロシア軍が空港を占拠した。
地上から侵攻したロシア第35軍の装甲部隊も合流し、オストメル空港は完全に占領された。

オストメル空港の戦いが終わった時点でキエフを速攻で攻略するプランAが失敗。
ロシア軍はキエフを包囲し、チェチェンで行ったように徹底的に市街地を砲撃と空爆で破壊するプランBを発動。

プランBが成功するかどうかは、燃料の補給次第だった。
キエフまで20kmまで進出した第35軍の装甲車両2000両は燃料をほとんど使い果たしており、補給なしの前進は不可能だった

第35軍の司令官はそこで後続の輸送部隊が妨害を受け、到着できない事を知った。
森の中の細い道で2000両の戦車と7000両の装甲車両の燃料を運ぶのは無理だった。

そこで護衛をつけた第二の輸送部隊が比較的広い道路を使って派遣されたがこれはウクライナ軍に予想されており、
ウクライナ軍の森林戦闘コマンドのヒットアンドウェイ攻撃を受け続けた。
車列は渋滞して全長100kmの大渋滞となり、35軍はこの到着をひたすら待ち続けることになる。

この大渋滞への攻撃はウクライナのヤロスラフ・ホンチャー大佐が指揮し、わずか30人程度の特殊森林戦闘ユニットによって行われた。
彼らは四輪バイクを使って沼沢地の森を素早く移動し、視装置とドローンを使って車列を発見。
数両を破壊して逃げるという戦法で護衛部隊を翻弄した。
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